れども、平野謙の方が犯人を当てる率が多いと私は思う。
これは作家と批評家との根柢的な相違があるので、作家というものは常々自分自身で何かを編みだす立場だから、公式をはみだしていつも可能性の中を散歩している。江戸川乱歩氏は大勉強家で古今東西の探偵小説に通じているけれども、公式で割切ることが根柢に失われていて、いつも無限の可能性の中にいる筈と思われる。批評家は本来公式で割切る人であり、特に平野名人の如く、系列だの分類というものが生れついて身についている特異体質の悪童は、可能性などという余計な邪魔物に全然患わされるところがないから、黙って坐ればピタリと当てるというように、犯人を当ててしまうのである。
この犯人の当てっこをやって私が驚いたのは、日本の作家の作品には、このゲームに適する作品が全然ないということだった。ミステリイの要素が主で、推理は従である。浜尾四郎氏の作品や「船富家の惨劇」などは推理小説だけれども無理が多い。これは日本の法律とか警察制度とか風俗習慣が全然外国と違っているのに外国流を直輸入して無理に当てはめるための破綻で、怪しい奴は有無を言わさずみんなブタ箱へ入れておいて、証拠な
前へ
次へ
全5ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング