てばかりゐる。目下、ゴビの沙漠を辿つてゐる最中なのである。
 ラ・マンチャの紳士ドン・キホーテ先生といひたいけれども、これもサンチョ・パンザとの合ひの子で、サンチョの勢力範囲の方が旺盛だから、一向に騎士的精神によつて勇み立ち槍をふりまはすといふやうな崇高なところがでてこない。
 私は然し、実際、私は猪八戒だといふところが正当な評価だらうと考へてゐるのだ。猪八戒はヘタくそな忍術を使ふ。デレンデレンと九字を切ると、本人は見事に化けてゐるつもりだけれども、身体だけ美人に化けて、顔は例の助平豚だといふ始末である。このできそこなひの忍術が、つまり私の小説だ。私もまた、できそこなひの忍術使ひなのである。
 いつたい、猪八戒自体は天竺へ行くつもりであつたのか。桃太郎の犬だの猿は、ともかく鬼退治にお伴しようといふ意志をもつてゐたやうだ。ところが、猪八戒の方は怪しいもので、彼の旅行目的たるや至極曖昧模糊としてをり、彼の人生の目的たるや私には分らない。同じ疑問を私に差し向けられると私は切ない。なぜといつて、沙漠だの荒野だの深山の旅ですら、猪八戒はあんなに多くの女怪にぶつかつてゐるではないか。私は東京といふ天下|名題《なだい》の人間だらけの町に住んでゐるのだから。
 猪八戒はともかく天竺へ辿りついて法名だか何だか貰つたけれども、私がどこへ辿りつくか、危いものだ。天竺へ行かないうちに、女怪に縛りあげられて往生するのが落であらうか。私は、すこし、忍術の稽古をしよう。せめて豚のシッポが、かくれるぐらゐ。私たりとも、縛られて、助けてくれと泣きたくはないからである。ほんまに、さうや。御退屈さま。



底本:「坂口安吾全集 05」筑摩書房
   1998(平成10)年6月20日初版第1刷発行
底本の親本:「夕刊新大阪 第四六九号〜四七一号」
   1947(昭和22)年5月26日〜28日
初出:「夕刊新大阪 第四六九号〜四七一号」
   1947(昭和22)年5月26日〜28日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:noriko saito
2009年1月19日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校
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