済んでしまふほど単純無邪気なものではないことが泌々《しみじみ》分らせられたのだ。
 戦争から帰つた人の話によると、戦地で一番つらいのは行軍だといふことである。へと/\に疲れてしまふ。突然敵が現れて発砲してくると、こつちも倒れて応戦するが、五分間でも行軍の労苦を休めるために、ホッとする。敵があつけなく退却すると、やれ/\又行軍かとウンザリするといふ話である。
 この感想は数人の職業も教養も違つた人から同じことをきかされた。その人達の偽らぬ実感であつたに相違ない。
 僕はこの実感を尊いと思ふ。その人達は、人の為しうる最大の犠牲を払つて、この実感を得たのであつた。けれども「これが戦争だ」と言ふことはできない。その人達が命を棄てた曠野に於て掴んだ実感であるにしても、それによつて「これが戦争だ」と断言するには、人の心は又余りに複雑でもある筈だ。
 つまり、我々は戦争と言へば「死」を思ふ。「死」を怖れる。ところが、戦地へ行つてみると、案外気楽である。行軍に疲れたあげくには弾雨の下に休息を感じた。さういふ事実から割りだして「なんだい、戦争だの、死だなんて、こんなものか」と鼻唄なみに考へては早計であら
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