本当に亡魂がでゝきやがったんですよ」
「珍しいな。何か言ったか」
「そんなんじゃないんですよ。骨壺がガタガタ云うのもおかしいでしょう。廿日鼠かなんかいるんじゃないかと思いましてね。骨壺をあけて、調べてみたんですよ。新聞紙の上へザラザラぶちまけて掻き廻したんですが、変ったこともありませんやね。そのうち、なんの気なしに、歯のところを拾いあげたと思いなさい。あの野郎の前歯に数字が書いてあるんでさア。三十とね。私ゃ横文字が読めませんから分りませんが、宿六の野郎が生意気に横文字なんか読みやがって、三十だてえことなんです。呆れかえるじゃアありませんか。あの野郎、パンスケにふんだくられた三十万円の恨みが忘れかねているんですよ」
「どれ、その歯を見せてごらん」
見ると、なるほど、茶色の模様のような筋がある。三十とよめないこともないが、ハッキリ三十というわけでもない。生前、歯に彫りつけたというわけではなく、書いたものがアブリダシで現れたようなアンバイである。
将棋狂の和尚は探偵趣味もあるから一膝のりだして、
「ウム。よろし。拙僧が取り調べてあげるから、オカミサンも一緒にきてごらん」
和尚は知りあいの歯科医を訪ねた。歯科医は、歯をひねくりまわしていたが、
「どうも、見当がつきませんな。私は死人の歯を治療したことがありませんから、なんとも云えませんが、これはたゞの偶然で、なんでもないことじゃありますまいか」
「このホトケはクビをくゝって自殺したのですが、死ぬ前に、歯にアブリダシで字を書いておいたら、骨になってから、こうなるのと違いますか」
「さア、どうでしょう。歯にアブリダシを書いた話はきいたことがありませんが、口の中は濡れているのが普通ですから、アブリダシを書いても流れて消えて失くなりはしませんか。これは何かの偶然でしょう。私は骨になった歯など見たことがないのですが、シサイに見たら、こんなのは例が多いのかも知れませんな」
「しかし、アブリダシということも考えられるでしょうな」
「和尚さん。バカバカしいじゃありませんか。子供じゃアあるまいし、頭をまるめたいい年寄が、アブリダシ、アブリダシって、ナニ云ってやがんだい。吾吉のバカ野郎の恨みがこもって、ここへ現れているんだよ。お経をケンヤクしやがるから、こんなことにならアね。どうもね、骨壺の騒ぎ方が、ひとかたならないと思いましたよ」
「よし、よし。それなら、骨壺を預りましょう。本堂へかざって、三七日ほど、ねんごろに読経してあげよう」
和尚は仕方がないから骨壺をひきとった。さもないと出向いてお経をあげなければいけない。本堂にひきとって飾っておくぶんには、ほッたらかしておいても、誰にも分らない。
そのうちに、ソノ子が行雲流水から戻ってきたから、本堂へよんだ。
「実はな。お前の留守中に吾吉がクビをくくって死んだよ」
「そうですってね。死神に憑かれたんでしょう。そんな男、たくさん、いてよ」
「漬物屋のオカミサンが怒鳴りこみやしなかったかい」
「まだ来ませんけど、今さら、仕様がないじゃありませんか」
「それもそうだが、吾吉はお前に使った三十万円が心残りだそうでな。骨壺が深夜になるとガタガタ騒ぐ。おかしいというので、あけて調べてみると、前歯に三十という字が浮きでゝいるのだよ。三十万円で浮かばれないというワケだ。それ、そこにあるのが吾吉の骨だから、拝んでやりなさい。回向《えこう》になるよ」
「私はイヤです。拝むなんて」
ソノ子は怒った。
「おとなしく死んだんなら拝んでもやりますけど、私に恨みを残して死んだなんて、ケチな根性たらありゃしないわ。それなら、私も憎みかえしてやります。私はお父さんにお尻をぶたれた時から、世の中を敵だと思っていますから、吾吉の幽霊なんか、なんでもないわ」
「気の強い娘だよ。これほどの娘とは知らなかったね」
和尚は骨壺を持ってきて、中を掻き廻して前歯をとりだした。
「これ、これ。ここに三十とあるだろう。拙僧は、奴め、口惜しまぎれにクビククリの寸前にアブリダシを前歯に仕掛けやがったなと睨んだが、漬物屋のオカミサンは、亡魂がこの地にとどまって、歯に文字を書いたというのだよ。あゝいうウスバカは執念深いから、死後にも何をやらかすか分らない。ワシはお経をケンヤクするから、奴め、なかなか浮かばれないな」
ソノ子は歯をとりあげて、見ていたが、怖れる様子は一向になかった。
「いゝわよ。憎んでやるから、覚えてるがいいわ。あんた一人じゃないわ。これから何人だって、こんなことになるでしょうよ」
ソノ子は大胆不敵なセセラ笑いをうかべて、前歯を骨壺の中へ捨てた。
「いゝ度胸だ。お前は好きな人がいるのかい」
「大きなお世話だわ」
「お世話でもあろうが、教えてもらいたいね。当世の女流はわけが分らないから、指南を仰ぎたいのだよ。ワシもダイコクを三人もとりかえたり、その又昔はコツやナカへ繁々と通ったものだが、当世の女流はわからん」
「私のお尻をぶちながら死ぬなんて、卑怯でしょう。吾吉だって、同じように卑怯なのよ。男はみんな卑怯だと思っていゝわ。私は、男なんか、憎むだけよ。みんなウスバカに見えるだけよ」
「なるほど。そんなものかな。そういえば、たしかに、男はウスバカだよ。とんだヤブヘビとは、このことだ。しかし、吾吉は、お前を叩き斬ッてきざんでやりたいが、そうもいかないから、せめて坊主にしてくれたいと恨んでいたから用心するがいゝ。亡魂は根気のいゝものだ。坊主をしていると、よく分る。三代まではタタラないが、一代だけは根気よく狙いをつけているものだよ」
ソノ子は薄笑いをうかべただけで、返事もせずに、サヨナラと帰ってしまった。
和尚はシミジミ骨壺を見つめた。男はみんなウスバカに見えるという言葉が、身にこたえたのである。
男はたしかに凡夫にすぎない。ソノ子のお尻の行雲流水の境地には比すべくもないのである。水もとまらず、影も宿らず、そのお尻は醇乎《じゅんこ》としてお尻そのものであり、明鏡止水とは、又、これである。
乳くさい子供の香がまだプンプン匂うような、しかし、精気たくましくもりあがった形の可愛いゝお乳とお尻を考えて、和尚は途方にくれたのである。お釈迦様はウソをついてござる。男が悟りをひらくなんて、考えられることだろうかと。
亡魂この地にとゞまり、前歯に恨みの三十万円を書きしるして、夜ごとに骨壺をゴソゴソ騒がせるという吾吉は、男の中の男勇士かも知れない。明鏡止水とはいかないが、ウスバカにしては出来がよい。和尚は骨壺に、はじめて親愛の念をいだいたのである。けれどもドブロク造りが忙しいので、お経はよんでやらなかった。
★
和尚がソノ子の家を訪ねたとき押入れへ隠れた男は、ソノ子と最も深間へ落ちているウスバカの一人であった。彼はソノ子をつれて三週間の出張旅行を共にしたが、出張とはデタラメで、公金を持ち逃げして、盲滅法逃げまわっていたのである。つまり吾吉と同じ境地であった。
帰京して、ソノ子から吾吉のクビククリの話や骨壺の話をきいて、つくづく情ない思いになった。彼自身、せっぱつまり、クビククリの一足前まで来ていたからである。
「吾吉氏とボクとは違うだろうな。キミはボクを愛してくれているんだろう」
と、男は心配して、きいた。
「吾吉とアナタじゃ違うわ。アナタは好きよ」
「そうか」
男は考えこんだ。
「しかし、みんな打ちあけると、キミはボクがキライになるんじゃないのかな」
「そんなことないわ。私、男の人が好きになったのはアナタがはじめてだわ。だから、すてないでね」
男は又、考えこんだ。
「じゃア、思いきって、言ってやれ。もう、思いきって、言ってしまうほかに手がなくなったんだ。ボクは今日にも自殺するほかには手がなくなったんだ」
「アラ、そんなこと、ある筈ないじゃないの」
「キミには、わからないことさ。ボクは吾吉氏と同じ境遇なんだよ。わかったかい。出張なんて、デタラメさ。会社の金を使いこんで逃げ廻っていたんだよ。盗んだ金も、なくなったんだ。ボクは強盗して生きのびるほどの度胸はないから、死ぬよりほかに仕方がない。旅先でも、死場所を探していたのだが、ズルズル東京へ戻ってきてしまったのさ。ただキミが一緒に死んでくれるかどうか、それが不安で、今まで生きてきたゞけだよ」
「私だって、アナタが死んでしまえば、生きているハリアイがないわ」
ソノ子はこんなに気が弱くなったことはなかった。まだ、十八の小娘なのである。そのときまで毛頭思いもよらなかった死というものに、にわかに引きこまれるような気持になった。彼女は急に男が可哀そうで、いとしくなったのである。
たぶん吾吉の境遇との暗合のせいであろう。十八という年齢が、それをうけとめるだけスレていなかったのである。ソノ子はむしろ自分から飛びこむような激しい思いになった。
「私だってパンスケなんかして、生きていたくないわ。だけど、パンスケ以外に、生きる道がないわね。アナタが死ぬなら、私も死ぬわ」
男はポロポロなきだした。ほかに表現がなかったのである。それほど思いつめていたのであった。
ソノ子も心がきまると、死に旅立つことが却って希望にみちているような張りがわき起った。彼女は男を残して、髪結屋へ行き、桃割れに結ってもらった。いっぺん、桃割れに結ってみたいと夢にまで見て、果したことがなかったからである。
たくさん御馳走をこしらえて、弟や妹も一緒に最後の食事をたのしんだ。ソノ子は髪がくずれることを怖れたので、男の最後の要求も拒絶して、枕に頭をつけず、夜更けまで坐り通していた。
「まるで、ボクやボクたちの愛情よりも、桃割れの方が大切みたいじゃないか」
男はソノ子に恨みを云った。
「そんなこと言うのは、アナタに愛情がないせいよ。もう、ほかのことは忘れて、死ぬことばかり考えましょうよ」
「そうか。そうだ。キミはきっと聖処女なんだ」
男は後悔し、感激して、又、泣き沈んだ。そして二人は、夜の明け方、まだまッくらな中を冷い朝風をあびて、すぐお寺の横を走っている鉄道線路へ並んでねた。
「胴体が真ッ二つじゃ汚らしくッてイヤだから」
と、かねて相談の通り、胴体から足は土堤の方へ、クビだけを線路の上へのせたのである。
ソノ子が怖くなったのは、その時からであった。
「さむい。だいて」
ソノ子は男に接吻した。そして、立っている男と女が接吻する時のように、巧みに顔をひいて、男には悟らせずにクビの位置をひッこめた。そして男の顔へ、上から唇を押しあてた。
一番列車がやってきたのは、その時だ。ソノ子は唇をはなして、自分も線路を枕にするフリをして身を倒したが、彼女の頭は線路をハミでゝ、たゞ桃割れが乗ッかっていたゞけであった。
★
「裏の線路に自殺があったから、ひとつ、回向してやって下さいな」
と町内の者に叩き起されて、和尚は線路へあがってみた。
死んでいるのは男だ。クビがキレイに切断されて、胴体はひかれた位置に、全然とりみだした跡がなく残っているのである。
クビだけ十間ほどコロコロころがったらしく、サラシ首のように、枕木の上にチャンと立っているのである。大きな目の玉をむいている。おまけに、自分をひいた汽車を見送ったように、行く先の方をマッスグ睨んでいるのであった。ちッとも取り乱したところがない。
「行儀がいゝねえ。このマグロは、自分をひいてくれた汽車に、御苦労様てんで、挨拶しようてえ心意気なんだな。ユイショある血筋の若ザムライかも知れないよ」
「ハテナ」
和尚はクビを見つめた。
「アッ。あの男だ」
押入れの中に隠れていた男なのである。さては、とうとう、やりやがったか。死ぬ奴は吾吉一人じゃないわよ、と言いやがったが、お尻の復讐の二人目が成就したのである。
「オーイ。こんなところに、女のマゲがスッ飛んできていやがるよ。このマゲは桃割れだ。頭のツケ根からスッポリ抜けてきたんだね」
一人が離れたところで、こう叫ぶ声がきこえた。
「そういえば、ここん
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