いっぱいというわけだ。なにも私を選んできかせる必要はないように見える。第一、私にきかせるためには、方々へ問い合して、住所をさがさなければならない。ところが彼らは、その苦労を物ともせず、私に手紙をくれるのである。
私の必勝法と彼らのそれとは距りがあり(彼らはみんなベテランだ)その距りは絶対で、知己を感じるイワレはないように見える。しかし、彼らから見ると知己を感じるのかも知れない。
負けて手紙をよこしたというのは、ない。賭事をやる人間は、負けた時は黙々として健忘症となり、勝った時の記憶だけは死ぬまで忘れることができないという語部《かたりべ》の精神に富んでいるらしい。つまり語部の代表たる巷談屋に彼らのユーカラを吹きこんでおこうという楽しい精神状態なのかも知れない。
苦情がでたのは「東京ジャングル」だ。まにうけて上野探訪にでかけたら、唖の女の子にはめぐり合わないし、お客を大切にして、ジャングルの平和をまもる情に溢れているどころか、一しょに泊った女の子に財布を持ち逃げされたよ、こまるじゃないか、アッハッハヽというようなわけだ。
さすがに上野探訪の風流心を起すほどの貴人であるから、怨みをのべても、悪意はないし、アッサリしている。
私が書いている時はあんまり意識しなかったが、風流才子の面々は、言い合わしたように唖の娘をさがしに行っているのである。そして、十二人もいるなぞとあるが、嘘だろう、と巷談屋の写実に疑いをいだいているのである。
風流の貴人たちよ。疑いは人間にあり。巷談屋は多少インチキであるかも知れぬが、こういう急所で貴人をたぶらかすような無法をしたことはない。
しかし、争われないもので、私はあんまり意識せずに書いたけれども、上野探訪で一番心をひかれたものはといえば、唖の娘であったのだ。お巡りさんが武装いかめしく護衛についてくれているのに口説くわけにもいかない。実に残念千万であると……いけない。そんなわけで、ちょッとしたあの挿話に私の魂がこもったらしい。貴人はそれを見破るのである。しかし、これを顧て、私も一かどの貴人であろう。
先日、碁会所の相手に、
「御商売は?」
「巷談師です」
「ハ。講釈のお方?」
「イエ、巷談師」
「アッ。コーダンシ。これはお珍しい。ウーム、なるほど」
と顔を見て感心していた。なんとカンチガイしたのか見当がつかないので、話の泉の補充兵ぐらいの智者にきいてみると、
「ハアン。バカ。笑われたろう」
「笑われもしなかったな」
「オメデタイよ。お前さんは」
「そうかな」
「巷談師ッたって通じるかよ。人は好男子にとるにきまっとるじゃないか。日本語には、それだけしかないんだよ。覚えておけ」
「そうか」
「今さらシマッタと思ったって、手おくれだよ。バカを顔にぶらさげて歩いてら。アハハ」
なに、シマッタなんて思うもんか。
巷談師=好男子。益々まんざらでない。つまり私以外の誰の職業でもないということを天が指定しているようなものさ。
底本:「坂口安吾全集 09」筑摩書房
1998(平成10)年10月20日初版第1刷発行
底本の親本:「別冊文藝春秋 第一七号」
1950(昭和25)年8月3日発行
初出:「別冊文藝春秋 第一七号」
1950(昭和25)年8月3日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:花田泰治郎
2006年3月24日作成
青空文庫作成ファイル:
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