彼らは素質ある人々で、あの時代に生れたからあゝなっただけのこと、今の時代に青年であったら、私と同じ出発をはじめ、私などのおよびがたい新作品を書いているかも知れぬ。
木村対升田の場合も同じこと、木村はあの時代に育って、あゝなった。今、三十の新進であったらたぶん、升田と同じ原則から新風を起したに相違ない人物であるけれども、いったん出来た型は却々破られぬ。ことに木村の場合の如くに、名人を十年もやっては、もう一つの完成に達して、この型をハミ出したり、くずしたり、新出発することはむつかしい。
けれども、谷崎や志賀に、そのような新出発が先ずほとんど有り得ないのにくらべて、将棋の場合は、相対ずくの勝負であるから、相手次第で、新展開が行われないとは限らない。その可能性は有りうるものだ。年齢もまだ若い。科学には勝負はないが、将棋は勝負だから、その闘魂からくる新生、新出発、そういう展開はありうる筈だ。
然し私は、木村にこの新生が行われぬ限り、目下のまゝでは升田に分のよいのが自然だと思う。なぜなら升田は、木村という型のもつ欠点を踏み台にして、そこの省察から新しく現れた美事な進歩だからで、問題は天分にあ
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