もあつた。
元々切支丹の韜晦《とうかい》といふ世渡りの手段に始めた参禅だつたが、之が又、如水の性に合つてゐた。忠義に対する冷遇、出る杭は打たれ、一見豪放磊落でも天衣無縫に縁がなく、律義と反骨と、誠意と野心と、虚心と企みと背中合せの如水にとつて、禅のひねくれた虚心坦懐はウマが合つてゐたのである。彼の文事の教養は野性的洒脱といふ性格を彼に与へたが、茶の湯と禅はこの性格に適合し、特に文章をひねくる時には極めてイタについてゐた。青年の如水は何故に茶の湯を軽蔑したか。世紀の流行に対する反感だ。王侯貴人の業であつてもその流行を潔とせぬ彼の反骨の表れである。反骨は尚腐血となつて彼の血管をめぐつてゐるが、稜々たる青春の気骨はすでにない。反骨と野望はすでに彼の老ひ腐つた血で、その悪霊にすぎなかつた。
ある日、秀吉は石垣山の楼上から小田原包囲の軍兵二十六万の軍容を眺め下して至極好機嫌だつた。自讃は秀吉の天性で、侍臣を顧て大威張りした。どうだ者共。昔の話はいざ知らず、今の世に二十六万の大軍を操る者が俺の外に見当るかな。先づ、なからう、ワッハッハ。その旁に如水が例のドングリ眼をむいてゐる。之を見ると秀吉は
前へ
次へ
全29ページ中27ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング