は占いをよく見たが、あの出戻りもマネゴトはしている」
「家族はいないんですか」
「父親は二人ぐらしだ。男の兄弟もいたのだが、あれッぽちの畑じゃア仕様がないから町へでて何かやってるようだ。山の上に離れていることだから、あのウチのことは村の者もよく知らないが、なんでも父親は四五日前から寝こんでいるということだった」
「大病ですか」
「知らねえ」
木戸はまた考えこんで歩きだした。橋の上までくると立ち止って、
「また戻ってみたくなりましたねえ」
「病人のことでかい?」
「それなんです。生きてる病人なら、どんどん戸を叩けば返事ぐらいするでしょう」
「ずいぶん叩いたじゃないか」
「だからですよ。あの戸締まりした家の中にたとえ重病人にしろ、生きた人間がいるのでしょうか」
「死んでると云うのかい?」
「まアね。死んでるというよりも、むしろ、殺されてやしませんか。四五桂は、それじゃないかと、いまひょッと、ね」
「キミは踏みこんでみるつもりかい? よその土地からきた赤の他人のキミが」
「二十円の借金返しに踏みこんじゃア変ですか。セーターを取り返すべく戸をこじあけて侵入せりは、たしかに名折れだなア。ハッハッハ」
どうやら木戸の思考も世間なみのところへ戻ってきたらしく、神妙に橋を渡って宿へ戻ったのである。そして二人は東京へ戻って別れた。
野村も、ひょッとするとそんなことがありうるかも知れないなと一度は思ってみたりした。木戸のカンが当っていれば絶好のニュースだから、新聞社を訪れて一応将棋記者の耳に入れておこうかと思ったのだが、まんまと外れていると天才児の将来のために良くない結果になるかも知れぬ。そう考えて、野村はこれを忘れることにしたのである。
★
観戦記の原稿を届けにでた野村は、木戸が新聞社から金を受けとってでたままずッと行方が知れないことを知った。彼の次の対局は二週間後に行われる予定で、彼も承知のことではあったが、その対局もまぢかに迫っていたので、新聞社でも多少は気をもんでいる様子であった。その行先はあるいは、と、野村は例の心当りを云いたくなったが待て待てと言葉をおさえたのである。若者の秘密の行先は天下に多い。うっかりバカな見込みを云いたてて、彼の恥も自分の恥も一しょにさらけだしては大変だ。
幸い次の対局に彼は姿を現した。天下の強豪との対局中に二時間ちかくも行方をくらますほどのずぶとさだから、平時に十日やそこいら行方をくらましてもフシギはないわけで、取越苦労をする方がバカだったかと野村は思った。
野村はこの対局には関係がなかったから出かけなかったが、木戸は自信満々の様子だったそうである。むろんこの相手もAクラスの強豪だった。
ところがこの一戦は木戸に良いところがまったくなかった。中盤すでに歴然たる敗勢で、押されに押されてずるずると押し切られた。木戸は喘ぐような悪戦苦闘のあげく、前局で散歩にでかけたと同じような時刻には脂汗でぬれたような悲愴な様で別室へ下って一時間ほど寝こんだそうだ。もっとも、こういう急場にフトンをひッかぶって寝るマネができるだけでも異常神経と云えそうだが、今回に限ってずぶとい余裕はみられなかった。疲れきったあげくだったそうである。夕食後まもなくずる/\と良いところなく押し切られ、局後の検討もせずに座を立ってしまった。コマを投じて無言のまゝスッと立って再び姿を現さなかったそうだが、それは無礼にも、無慙にも受けとることができた。ともかく小僧いまだしの感、すべてに深かったそうである。しかし翌朝は平素の様子に戻って、
「非常によい教訓でした。心を改めて出直します」
としみ/″\記者に語ったそうで、その一言を残して彼は再び行方不明となった。世間から消え去ってしまったのである。
野村はそれを一月ほどすぎてきかされた。それからさらに三月ほど後のことである。春の気配が近づいた季節に、仕事の都合で彼は例の温泉に滞在した。
彼は木戸の行方不明を思いだして、それがこの温泉に関係のあることだとは思わなかったが、すくなくとも初期の行方不明中のある日、彼が一度はこゝへ来ているはずだと考えた。茶店の娘の顔に見た四五桂の謎をとくためにである。勝負師の中でも彼は特に執念の強い方であるし、あの謎によせた彼の執着は一度は彼をこの地に再来せしめるに充分なものだと思われたからである。
野村はある日の散歩に例の橋を渡って山上へ登ってみた。そして茶店に休息した。茶店は何事もなかったふうに思われた。土間をはいって盤面右下隅の位置にあるという茶店の棚も木戸が語ってきかせたとほぼ同じで、空ビンの代りに新しいサイダーだけが十本ほどあった。そして現れたのも例の娘であった。娘は彼が何者か気づかぬ様子であった。野村はむかし木戸が娘に話しかけたと同
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