に砕けてゆくのが分つた。先生は絶望のしるしに手で頭を抱へようとしたが、うまく頭を押へることが出来ずに、手は大きな波のうねりとなつて頭の前後左右へグラグラとだらしなく舞ひめぐり、しつかと押へることが出来ないのであつた。
 もう逃げられないのだし、逃げたつてどうにもならないのだと分ると、先生は子供のやうに顔中を泪で汚してしまつて、フラフラと歩いて行つてベッドの上へ重つて倒れてしまつた。そして痩せこけた冷い奴の肩をつかんでそいつ[#「そいつ」に傍点]の胸へ顔を当て、本当にウォン/\泣きじやくつてしまつて、
「お母さん、お母さあん、お母さんてば……」
 それだけがボキャブラリイであるやうに、一生懸命にさう言つて泣き喚かずにはゐられなかつた。その喚きを何べんも何べんも繰返してゐるうちに、熱くるしい泪の奥へ声も身体も意識もだんだん縮んで細くなり、消えていつてしまふのが感じられた。

 翌日、重い頭を抱へて目を覚した斑猫先生は、何よりも先づ爽やかな雑沓へ慌しく飛び出して、明るい蒼空を時々見ながら、昨夜のことは、あれはみんな夢であるといふ風にしか思ひ出すことが出来なかつた。



底本:「坂口安吾全集
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