ては、孤独こそ泉のやうに滾々《こんこん》と親密の涌き出るもので、他に安んじて身を休める場所はないやうであつた。果して、孤独に浸つてみると、なんとなく透明に似た憂愁が心持よく感ぜられた。
孤独には雑沓の街が好もしい。其処では各の人々がお互にアンディフェランでノンシャランで、各の中に静かな泉を溢《みなぎ》らせ乍ら、絶えざる細い噴水を各の道に流し流し行き交うてゐる。一本の散歩路《ブルバル》は結局無数の散歩路《ブルバル》であつて、そこでは無数の逍遥家によつて織り出される無数の泉が各の無関心な水流を爽やかに吹き流し、この人波の蠢くところ雑沓の道は、つまり最も物静かな透明にして音のある斯る偉大な交響曲に近い。それ故ここでは、人間本来の温かさが甚だ素朴に身に触れて感ぜられるのであつた。
昼も夜も先生はなるべく群衆の中を歩き廻るやうにした。同じ一人ぽつちでも、つくねんと部屋に閉ぢ籠ることは、或る意味で結局饒舌であり五月蠅いものだ。それは雑沓にひき比べて寧ろ大変騒然たる濁つた思ひさへする。部屋そのものの狭さのやうに其は狭少で冷酷で、虚無へまで溶けさせてくれるやうなあの雑沓の温い寛大さが足りない。その
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