だけをボンヤリ照らし出してゐた。奥の方にその部分の階段だけが浮いて見えたのである。矢張り先刻《さっき》の入口も開いてゐたのだと先生は思つた。そして奇妙に懐しい思ひがしたので、一寸《ちょっと》覗くやうに一足踏み寄つて首を入れて見た。すると――階段。さう、たしかに。目より上に、その部分だけ薄くモヤ/\と照らし出された階段だが、変にシインと物思ひに耽るやうな階段であつた。先生は駆立てられるやうに、なんだか昇つてみたいやうな――寧ろ触つて……いや、兎に角何かしてみたいやうな変な気がした。そして四辺《あたり》へ目をやつて全く人気ないのを知ると、跫音《あしおと》を殺して中へ這入つた。
 先生は一段毎に階段と自分の心と測り合せるやうにして静かに昇つた。石造建築に籠つた冷気が妙に鋭く、併し澱んで液体のやうにヌルヌルと手頸に滑り顔になだれるやうであつた。先生は五六段もして立止り上を窺つてみたが、なんだか恐い気持がしたので、今度は振向いてヂッと佇んだ。耳のところに数字みたいのものが鳴り響いてゐるのである。併し全てが闇と同じくらゐヒッソリすると、先生はその場所へ今度は腰を下した。上から落ちる光は少し上手《かみて》を照らしてはゐるが、恐らく先生の背中までは届いてをらぬであらう。そして先生の前方は無論闇の塊りであつた。ただ開け放された入口の矩形を通して、ボウと照らされた路面が矢張り矩形に切り抜かれて見えた。街燈は左の方にあるらしく、鈴懸の影が左から右へ落されてゐた。
 すると一人の酔漢が、ヨロヨロして左から右へ通つて行つた。まづその影法師が蹌踉として左から右へ延びて行くと、やがてヨロヨロした本人が三歩くらゐで矩形の中を通り過ぎて行つたのである。すると今度は右の方のかなり離れた光から来るらしい朦朧として細長い影法師が、路面の遠くをサッと一廻りして消えてしまつた。
 酔漢の跫音が遠距《とおざ》かるまで、何かヂインとする闇の呼吸が聞えてゐた。ところが跫音が愈聞えなくなつてしまふと、何かしら不安な胸騒ぎがソワソワと何だか後悔のやうに感じられてきた。をかしな厭に侘しい建物へ迷ひ込んで了つたものだ。早速立去らなければなるまい。それにしても、何だか身動きすることにも圧迫を受けるやうな厭な重苦しい建物であると先生は思つた。どうも変テコな工合に気掛りになつたのである。
 するとだしぬけに時計の音が――それは確
前へ 次へ
全7ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング