のである。
小説の題なんて、なんでもいいのだ。
然し、「道鏡」といふ小説の場合は違ふ。明確に主点のおかれた対象がハッキリしてゐるのだから、信長といふ題で秀吉の小説を書いたらをかしいと同じ間違ひを私はやらかしてしまつたのである。この小説の題名は孝謙天皇でなければならぬ。あるひは、女帝時代、家をまもる虫の如き女主人の執拗な意志、その最後の結実としての女帝、さういふものを意味した題名でなければならなかつた。
女帝と道鏡の関係に於ても、私が主として狙つてゐるのは、女帝のかかる独自な性格が創りだす恋愛、その独自な心情によつて選ばれた男が道鏡であつたといふことで、主点はやつぱり女帝にある。
だから私は、今、この小説集をだすに当つて、よつぽど小説の題名を変へようかと思つた。けれども、この小説の題名が短篇集の題名でもあるのだから、商品としての題名といふ考へから、もとのままの「道鏡」にきめた。題だけ変へて、別な作品のやうに売りだしたなどと思はれても、こまる。然し、作家の良心から云へば、この題は変へるのが本当だつたのだから一言、おことわりしておく次第である。
終戦後の作品以外のものは、私が三十歳
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