でもなく、大いに偽りのあるもので、屡々軽薄なものでもある。もとより笑ひが涙以上に深刻高遠といふことはないが、一つは目からでる水、一つは口からもれる風声で、どつちがマヂメ、どつちが不マヂメといふ性質のものぢやない。フィガロのセリフに「なぜ私が年中笑ふかですつて。笑はないと涙がでてきやがるからさ」五分々々のものだ。同様に、面白さ自体、マヂメも不マヂメもあるものぢやない。面白さを悪徳と見る人々の魂や生活は何と貧困なものだらうか。誠実な生き方や省察がないから、休養娯楽の正しさが分らない。
面白さはすぐれた効能である。同じものを面白くなく書くよりも面白く書く方がよろしい。文学が娯楽となることによつて文学の価値が低下俗化するわけではなく、思想の低俗、魂の低俗の故に文学は低俗となる。もとより面白をかしい小説に低俗な小説もたくさんあるが、御同様、深刻勤勉面白をかしくもない小説にも同じやうに低俗なものがたくさんあつて、このことでは両々別に変るところはない。まだしも面白ければ面白いといふことで喜んでくれる人があるだけ何かのタシになつてはをるが、尤もそのことのためにそれだから面白ければ文学になるといふ性質のものではない。
然しすぐれた文学ならみんなそれぞれの面白さがあるべきもので、面白さも亦作品の生命の一つである。
文学の生命は何か。悩める魂の友だといふ。それも亦休養娯楽だ、と私は思ふ。人々の休養娯楽に奉仕するだけでも立派な仕事ではないか。棋士は将棋によつて、職業野球家は野球によつて寄席芸人は落語漫才によつて人々の休養娯楽に奉仕する。まことに立派な、誇るべき仕事ぢやないか。よき棋譜により、よき野球により、よき演芸によつて人に負けない好サービスをなし人々をより多くたのしませるために心を配り技をみがき努力する。意義ある生活ではないか。
人々が私を文学者でなく、単なる戯作者、娯楽文学作者だときめつけても、私は一向に腹をたてない。人々の休養娯楽に奉仕し、真実ある人々が私の奉仕を喜んでくれる限り、私はそれだけでも私の人生は意味があり人の役に立つてよかつたと思ふ。もとより私は、さらに悩める魂の友となることを切に欲してゐるのだけれども、その悲しい希ひが果されず、単なる娯楽奉仕者であつたにしても、それだけでも私の生存に誇りをもつて生きてゐられる。誇るべき男子一生の仕事ぢやないか。
人々の休養娯楽に奉仕することが尊い仕事だと知らない人々は貧しい人々だ。休養娯楽が人生に一つの大きな意味ある生活であることを知らないのだから。
休養娯楽の正しい意味が分らぬところに豊かな愛や深い思想や魂は生れてこない。大きな正義も育ちはしない。日本の貧しさの最大なる一つは娯楽を悪徳と見ることで、娯楽が悪いのではなく、娯楽によつて崩れるやうな因習的道徳や教育が悪い。映画が悪いわけでもなく、ダンスホールが悪いわけでもない。悪いとすれば、人間が悪い。
登山の苦痛に堪へて頂上を極める喜び、マラソンの激痛を忍んでゴールに至る喜び、苦痛も亦娯楽なのである。歯をくひしばつて走つて何が面白いのかネ、などと、自分一個の限定以外に知り得ない貧しい魂は悲しい。私は先日パンパンガールと会談したが、彼女らが明朗で自分の人生を呪ふどころか愛し喜んでゐるので、うれしかつた。今までのやうな暗い悲しい娼婦にくらべて、この明朗な娼婦の誕生は、ともかく日本の一つの進歩で、パンパンの出現は決して日本のダラクではない。私はダンスホールは知らないけれども、友達のホールの支配人の話によると、不品行なダンサーの無軌道ぶりもひどい代りに、処女のダンサーが非常に多くなり、このことは戦前のダンスホールに見られなかつた現象だといふ。これも亦一つの進歩ぢやないか。かうして汚辱の中から新らしいものが育つてくる。
たゞれた愛慾、無軌道な放埒の中からも、やがてそこに高い魂が宿るやうになるものだ。たゞれた愛慾はいつの世にもあるもので、娯楽のせゐぢやなく、人間のせゐだ。娯楽が人間の劣情を挑発するといふなら、娯楽を禁止して、娯楽なき健全世界を創るか。これが健全だといふなら、私は不健全、私は不健全を名誉とする。
私は娯楽奉仕の職人たる誇りをもつから、かゝる誇りと努力によつて、奉仕の商品にも自然進歩があり、そのうちには商品に魂も宿るやうになり、いくらか文学らしくなることもあり得るだらう。私の奉仕の精神には、誇りと努力があるから、さうなる見込みもあるといふものだ。奉仕の職人たる心構えと努力にともかく自信があるといふことは、私自身に生きる意味を感じさせてくれる。その自信をもつことによつて、私はともかく、うれしい。
私はそれ以上のものでなくとも構はない。
底本:「坂口安吾全集 05」筑摩書房
1998(平成10)年6月20日初版第1刷発
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