全く自信はないのであらう。ふとつた石屋も香具師の親分も老後を托すに足るだけの誠意でないことは自明であるし、第一主婦は、すべての大人といふものが世の辛酸表裏を知りつくしてゐるために、大人達と老人達に本能的な嫌悪を懐いてゐた。さうして、弁当の得意先であるところの鉄道の独身者の若い従業員に親切にし、娘の婿にと心掛けてゐるのであつたが、実際は、それが娘のためではなく主婦自らの最大の慰安であつた。が、それとても、真実の未来の光明となり得ぬことは痛切に思ひ知つてゐたのである。親爺夫婦は僕に妻帯をすゝめたが、そのとき主婦はいつも僕にかう言つた。どない女かて宜しうをすわな、あんたはんかてもう五ツ六ツ老けてごらうじ、一人やつたら味気なうて、ほんまに生きられえへんどつせ。多分主婦が最も痛切にそれを感じてゐたのであらう。人間には年齢の思考といふものがある。頭の思考に独立して年齢自身が考へはじめ、その抜きさしならぬ暗さ、のしかゝつてくる思考自体の肉体的な目方の重さといふものを僕も薄々感じることが出来たのである。老醜の恐怖といふものが今まざ/\と主婦の眼前にひらけ始めて、どのやうな男でもいゝ、死損ひでも構はない、何かしらに縋りついてゐなければならぬ。狂気のやうに自分を愛す親爺である故、うるさくて憎くて仕方がないが、縋りつかずにもゐられない。それは愛情の声ではなく、衰へはじめた年齢の又肉体の声だつた。最大の不信、親爺の死滅を祈りつゞけてゐながらも、縋る手を離すまいと動く手を自ら断つといふことが出来ぬ。
 娘に婿をもらつて静かな余世を、と言つてゐるが、大嘘だ。主婦みづからの血潮の始末に身もだへて、あがきのつかぬ状態だつた。いゝ加減なことを言ふな、と、僕の目がいつも冷めたく光るのを、どうすることも出来なかつた。あの娘をどれほど愛してゐるか、それは知らぬ。娘の家出がどのやうな寂寥を与へたか、それも分らぬ。或ひは僕如き人生の風来坊には見当もつかないやうな荒涼たる心事であるかも知れぬ。けれども、如何ほど深い寂寥であるにしても、それが何程のことであらうか。自分一人の始末だけでもするがいゝ。情緒の問題は末の末で、この食堂では、家出した娘の脱けた空虚などは一向に目立たず、四十女の肉体が亡魂となつて部屋いつぱいうろつき廻つてゐるではないか。

 本格的に姿をくらました娘も、十日目ぐらゐに奇妙なことでつかまつた。
 僕と三宅君は例の如く親爺に頼まれて申訳ばかりに二日間ぐらゐは心当りを探してみた。立命館の予科の山口といふのを頼りに、この学校には友達二人教師をしてゐるし、予科の名簿をみんな見せてもらつたけれども、それらしいのが見当らない。僕達が名簿を睨んで唸つてゐると、何を教へてゐる先生だか知らないけれど、体格のいゝ先生が心配さうに近寄つてきて、娘はいつごろ家出しましたか。昨日です。それぢやア、あなた、と先生は声に力をこめて、まだ間に合ふ。さつそく神戸と下関へ手配しなきやアいけませんぜ。こゝを堅めてゐりやア大丈夫つかまるですよ、と一人で勝手に頷きながちさつさと向ふへ行つてしまつた。不良少女の巣のやうな喫茶店も廻つてみた。不良少女の足を洗つて大人になつた女給がゐて、これが娘の姉さん株の関係だつたが、流石に大人だから、自分だけいゝ子になるのは変りがなくとも、嘘でないことも教へてくれた。あれぐらゐの年頃の不良少女は男としよつちう遊んでゐても、めつたに肉体的な関係にはならないものだ、といふのであつた。さういふ危険性のある男は本能的に避けてゐる。けれども、肉体的な関係になつても別に不思議ではないのだから……姐御は僕達の目をヂッと見てゐたが、自分の知つてゐる限りでは、娘のつき合つてゐた男のうちに、さういふ事態になりうる男が二人ゐるから、と言つて住所と姓名を書いてくれた。京都の端と端であつた。一人は予科生、一人は中学生だつた。僕達の話の途中、姐御の馴染客が二組も来て頻りに合図するのであつたが、姐御は平然として黙殺し、不良少女や少年の内幕に就て様々な細い注意を与へてくれる。さうして、別れる時には、ほんまにお母さんは御心配のことゞすやらうなア、暇やつたらウチも行つてあげたいのやけれど。――勘定もチップも受取らなかつた。頼もしい女だと思つてゐたら、後日娘がこの話をきいて、あの人、狸やわ、冷然とさう言つた。
 教へられた不良少年を京都の端へ訪ねて行つたが徒労であつた。その日はまさに一年の大晦日に当つてゐた。街々は暮の飾りで充満し、さういふ飾りの物陰で、呼出した不良少年を威したり賺《すか》したり、死にたくなるやうなものである。一人だけでウンザリして、もう止さう、僕が言ふと、三宅君も実に簡単に賛成した。不良少女の方だつたら出掛けて行つてもいゝのだが、などゝ笑つてみるが、益々異様にガッカリするばかりで、笑
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