二人だけ別室へよんで訊いてみると、二人は知合つて二週間ぐらゐにしかならないのである。ある晩、娘がスケート場で遊んで遅くなり、帰ると叱られるので途方にくれてゐると、かねて知合ひの三人の中学生に出会つた。そして中学生の下宿へさそはれ、三名から暴行を受けた。翌朝、半狂乱の状態になつてゐる所へ、偶然この男がやつて来たのである。この男は三人の中学生の親分であつた。男は娘を自分の宿へ連れて帰つて介抱し、力づけてやるために努力した。五日間そこに泊つてゐたけれども、男は娘を肉慾の対象にはしなかつた。娘は身体も恢復し永遠にこゝにゐたいと思ふやうになつてゐた。買物に出掛けた所をつかまへられて家へ連れ戻され僕が訊問したわけだつたが、そのとき娘の恋心が決定的なものになつた。翌日の暮方、家人の隙を見て、一包の着物をもちだし、今度は男の所へ押しかけて行つたのである。
 この顛末は僕だけしか知つてゐない。棟梁の一族にあらゆる悪人呼ばゝりをされたが、この男は一言の申訳もせず、父母に向つてたゞ丁寧に詫びたゞけであつた。この男は数年間歯を磨いたことがないのであらうか、口臭が堪へがたかつたが、それ以外には不愉快な印象はなかつた。驚くほど、目が深く澄んでゐた。いさゝかの気怯《きおく》れも宿さず、狡猾も宿さず、色情も宿してをらぬ。ひとたび心をきめた時には、最大の苦痛にも立ち向ふ精神力が溢れてゐた。珍らしいほど澄みきつた目だと僕は思つた。精悍な南方人を思はせる男性的な美しい顔だつた。
 娘の方が、男に、身も心も捧げきつてゐるのであつた。このやうに身も心も捧げ、一途に信じきり頼りかゝつてゐる女の姿といふものを、僕はまだ見たことがない。大人の世界にはなからうと思つた。十七の娘の世界、八百屋お七の世界だと思つた。
 今迄の行きがゝりを離れて、今夜一晩改めて考へて、本当に結婚したいと思つたら明日出直して来るやうに言ひ、男を帰した。男は、明日は来ませんが、明後日は必ず来ますと答へた。
 約束の日に男は来た。男は学生証をだしてみせた。まだ生々しいその日の日附であつた。金策のため帰郷し、滞納の授業料を納めて学生証を貰つて来たのである。まだ二十一の予科の生徒である。この二人の愛情が永遠のものだとは元より考へてゐなかつた。けれども、この男なら、やがて二人の生活が破れる時が来ても、娘は二人の生活から何かしら宝をつかんで別れるこ
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