ふこともできなかつた。三宅君は新年早々入営することになつてをり、その晩は、立命館の先生福本君、山本君、四人集り、三宅君の壮行を祝して越年の酒宴をひらく筈であつた。僕達は京都の端で訊問を片づけると、疲労困憊、予定の時間を大分遅れて、やうやく会場に辿りついた。京都では大晦日の深夜から元旦の早朝へかけて、八坂神社の神火を三尺ぐらゐの縄にうつし、消えないやうに調子をつけて振りながら之をブラ下げて家に帰り元旦の竈の火をつけるといふ習慣がある。僕達が酔つ払つて外へでると、道の両側の人道はすでに縄の火をブラ下げた人達が蜿蜒と流れつゞいてゐる。家すらもないといふこと、曾《かつ》てそのことに悲しみを覚えた記憶のない僕だつたのに、なぜか痛烈に家がないといふことを感じたのだつた。おい、ギャングに会はふよ。ギャングのゐる酒場へ行かうよ。福本君が怒鳴る。よからう。ギャングに会はふ。僕達は蜿蜒たる縄の火の波を尻目にどこか酒場のたてこんだ路地に曲りこみ、ギャングはゐないか、ギャング出てこい。まつたく、だらしのない元旦だつた。この日から、もう、捜索は金輪際やめてしまつた。
 娘をつかまへてくれたのは大工の棟梁の一族だつた。大工の棟梁といふのは例の「看護婦」の家族のことで、始めて息子の不埒を知り、お詫びの意味で、心掛けてくれたのだつた。娘の情夫は硬派の与太学生で、看護婦先生が殴られたことのある男であつた。そのツナガリがあるために、案外簡単に見つけることが出来たのである。
 その晩は三宅君が入営のために故郷へ旅立つ日であつた。僕を訪ねて来てくれて、食堂の奥の座敷で一緒に酒をのんでゐた。そこへ棟梁の一族が男女の罪人を引きたてゝ、どや/\と流れこんで来たのである。酒席は忽ち白洲となり、罪人男女は案外冷静、突き刺すやうな鋭い視線で何かしらヂッと凝視《みつ》めてゐるばかりだが、棟梁一族のうるさいこと、あれを言ひ、これを言ひ、男を叩き切らんばかりの見幕で、喧々囂々、僕の俄か奉行では何が何やら一向に納りがつかぬ。大変な騒ぎのうちに、汽車の時間が来て、三宅君は慌てゝ停車場へ飛んで行つた。僕は好漢の出征を見送ることすら出来ないといふ始末であつた。
 男は二十一であつた。中学を四年でやめて放浪にでゝ、名所旧蹟の写真師をしてゐたが、家に帰り、許されて、京都の学校へ這入つた。然し、授業料を滞納して、目下休学状態であつた。

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