かつたし、動作にも、気質にも優しさがなく、そのくせ、最も頻繁にウチ女やよつてに、とか、気が弱うて、とか、凡そ飛んでもない述懐を本気で泌々こぼしてゐる。薄気味悪くなるのであつた。
この二人がどういふ因縁によつて同棲を始めたのだか、僕はハッキリ知らないが、昔、主婦がどこかの売店で売子の時分、親爺が熱を上げて口説き落したのだと云ふ。当時親爺には妻子と立派な店舗があつたが、それをみんな投げだして、この商売を始めたのである。その頃は人並以上の情熱児であつたであらうが、その面影はもはや一切残つてゐない。残つてゐるのは醜悪な老躯ばかりで、死損ひといふ感じが全てゞあつた。
この食堂の二階座敷の碁会所の常連や食堂の馴染客は、親爺に面と向つて死損ひだと言ふのであつた。棺桶に片足突つこんで置いてからに、却々いきをらんで。ほんまにシブトイ奴ッちやないかいな、と、一日に一度ぐらゐは誰かしら斯う言ふのである。さうして、後は引受けるよつてに、早うに死んだらどうかいな、と冷やかしてゐる。言ふまでもなく冗談である。悪意どころか、お前の女房は美人だといふお世辞のつもりであるかも知れず、こんなに羨しがつてゐるのだからお前の果報を喜べといふ好意のつもりであるかも知れぬ。然し、実際親爺が死んだらどういふ事態になるであらうか。伏見の石屋といふ豚のやうな肥つた男が、一ヶ月に一度づゝ酒を飲みにやつてくる。十五年ぐらゐ、かうして確実に一ヶ月に一度づゝ見廻りにくるのである。その日は朝から深夜まで十五六時間ゆつくり飲んで、親爺がまだ死なゝいことを見届けて帰つて行く。すると又、稲荷山へ見廻りにくる香具師《やし》の親分といふのがあつて、時々子分をひきつれて威勢良く繰込んでくる。主婦は俄に化粧を始め、外のお客は一切奥座敷から締めだされる。親分が酔つ払ふ頃になると子分は帰つてしまひ、親爺も二階の碁席へ引下がる。親爺は押黙り、異常な速度で傍目もふらず碁を打つてゐる。あゝ、又、例の客だな、と常連達は忽ち察しがつくのであつたが、誰も同情する者はない。全然気にかける者もない。この親爺が世にも不似合な女房をもち、その結果斯ういふ事態にならなかつたら、その方がこの世の不思議といふものだ、とみんなが思つてゐるのである。
然し、親翁が死んだら……多分、主婦自らが最もそれを希つてゐたに相違ないが、然しながら実際親爺が死んだら……主婦とても
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