て口を探したらうか。知合ひの隠居の所へ押かけて、碁でも打つて来たのかも知れぬ。
日支事変が始つた。京都の師団も出征する。師団長も負傷した。親爺の生れが聖護院八ツ橋であることは前にも述べたが、親爺は家督を譲つた代りに自分の倅《せがれ》に(この倅は主婦の子供ではない)八ツ橋製造の権利をもらつて、聖護院とはマークの違ふ八ツ橋を作らせてゐる。この八ツ橋を軍需品として師団へ納めることになつたのである。倅は大変な鼻息だ。自分の生母を棄て、女と走つてしがない暮しに老いこんでゐる親爺を扱ふに下僕のやうだ。親爺は主婦への面当てから、それを倅の出世のやうに喜んで、下僕のやうに扱はれながら顧問のやうに相好くづしてゐるのである。ところで、ついぞ来たこともない親爺の家へやつて来てどういふ用事があるかと思へば、師団へ納める八ツ橋の箱をつめてくれ、と言ふのである。ボール紙の小箱へつめて、十銭だか、十二銭だかで納めるのだが、この箱づめが一箱一厘、即ち十箱一銭、で百つめて、やうやく十銭といふ賃銀だ。冗談も休み/\言ふがいゝ、今時八ツの女の子でも、こんな仕事はしないであらう。一箱つめるにも角があつたり何かして相当骨が折れるのだ。ところが、親爺は二ツ返事で承知した。安いも高いもないのである。倅の出世に大喜びだし、ノンビリさんと関さんといふ有閑人士が二人ゐるから、十銭の金がはいるだけでも喜ぶ筈だと思つたのだつた。
トラックが袋小路の入口へ横づけになり、寝間と茶の間に八ツ橋の山が築かれ、関さんもノンビリさんも召集される。然し、関さんは二十つめると、二階に客が来ましたさかいに、と逃げてしまひ、ノンビリさんは物の五ツとやらないうちに、うち、朝からなんや気分が悪うて、貧血が来さうやさかい、と、これも二階へ逃げのび、布団を被つて、ねてしまつた。それ以来、ノンビリさんは全然八ツ橋に手をださず、関さんは親爺にくどく言はれた時だけ、十ぐらゐづゝやりかけて、客があるとか、今日は外に用があるとか言ひつくろつて逃げてしまふ。あんたはん、まだ八十や。たつた八銭やないか、と言はれ、は、その金は貰はんといゝさかい、差上げますわ。冷然とかう言ひ放つて、二階へ上つてしまつた。関さんも甚だ意地が悪いのだ。勿論、このやうな安価な仕事をお為ごかしに押しつけることが悪い。然し、悪意は、親爺にはなかつたのである。果せる哉、倅が自動車を乗りつけて見廻りに来て、大方出来上る頃と思ひのほか、十分の一とつまりはしない。カン/\に自分の親爺を怒鳴りつけ、それからは、毎晩のやうに見廻りにくる。親爺は弁当の配達もできぬ。店の仕事は主婦に委せて、朝から夜中まで箱づめにかゝり、ふるへる手に手当り次第八ツ橋を毀し、無理に箱にねぢこんでゐる。かういふ破目になつてみれば、主婦も亦、仕方がない。さう/\油も売つてゐられず、箱づめの助勢にかゝり、恨み骨髄に徹して、二階へ駈け上り、ほんまに慾のない人達やないかいな。お公卿さんの生れの方はうちらと違ふてゐやはるわ。まあ、きいとくれやす、と、常連の誰彼に軍鷄の声で説明してゐる。然し、もと/\、無理な仕事を押つけられた親爺に落度があつたのだ。親爺以外の何人が、こんな仕事を引受けよう。然しながら、子の愛にひかされ、子供のために嬉々として慾得もない親爺の弱身につけこんで、引受けてのない労働を押しつけるとは、狡猾無類の倅であつた。然し、親爺は、子の愛からか、意地からか、引受け手のない無理な仕事をまんまと倅に押しつけられたといふことを、金輪際信じようとはしなかつた。さうして、好きな碁もやらず、青筋をたてゝ、うゝ、うゝ、うゝと唸りながら、たうとう全部箱につめてしまつたのである。それのみではなかつた。すでに関さんノンビリさんの助力のないことが分りながら、更に第二回目のトラックを引受けた。さうして、之も亦、遂に、片づけてしまつたのだ。盲目の愛からか、腹いせからか。怖るべき意地ではあつた。
然しながら、之に就ても、蛇足があるのだ。あんたはん、なんとして、之が意地ですかいな。と、主婦が僕に言ふのである。慾ですわな。五千六千とつもつてみなはれ。大きうおす。それを忘れてからに、このをつさんが、やりますかいな。
ほんまに、さうや。と、親爺は酒をのむ僕を見あげて、ヒヽヽヽと笑つた。それは神々しいぐらゐ無邪気であつた。
附記 時間がなかつたので仮に古都と題しておきましたが、全然気に入りませんから、次回を載せる時は題を変へます。
[#地付き](未完)
底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「現代文学 第五巻第一号」大観堂
1941(昭和16)年12月28日発行
初出:「現代文学 第五巻第一号」大観堂
1941(昭和16)年12月28日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:noriko saito
2008年10月15日作成
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