られません。あの三人が居ないと、社の仕事にさしつかえます。仕事にさしつかえると、一日五百万円ぐらいずつ、穴をあけますから」
サシで話し合えば、もう、しめたもの。神様や化け物を煙にまくのはワケがない。
「よろし。今日中に、きっと、マチガイないな」
「そんなの、云うまでもないです。しかし、五百万円もってきたら、きっと、あとの三人を釈放してくれますね。嘘つかれたんじゃ、ボクは世間の信用を失って、失脚しなきゃなりません」
「だまれ! 神の使者が嘘をついてたまるか。即刻立ち帰って、五百万円持参せえ」
「ハイ」
久々に仰ぐ空。曇っていても、青空のように胸にしみる。戸外は空気まで舌ざわりがちがう。開かずの門がギイとあいて、マンマと外へ出ることができた。
こうして帰京すると、才蔵はハゲ頭を叱りちらして、百万円つくらせて、雲隠れの奥の手、姿をくらましてしまった。
天草商事とマニ教がいくら待っても、待ち人現れず。
三羽烏は才蔵が脱出だけの目的と察しているから、彼の救援を当にしていないが、まさかに百万円のドロンまでは察しがつかなかった。
その十七 マニ教天草商事遷座のこと
怒り心頭に発したのはマニ教のお歴々である。
待てど暮せど才蔵来らず、又、あれ以来、連日日参の社員も姿を見せない。
にッくき奴め。神をたばかる不敬者。もはや八ツ裂きにしても我慢がならない。
それまでは折檻の席に姿を見せなかったお歴々も、怒りに逆上して、時期をまつユトリを失ってしまった。
一日に何回となく、嵐の如くに駈けこんできて、三名をバッタ、バッタと蹴倒す。ブン殴る。鼻をねじあげる。耳や髪の毛をつかんでネジふせる。胸倉とって振りまわす。目よりも高く差しあげて、投げ落す。池へ突き落したり、背中へ氷を入れたり、ひどいことをする。
浮世では残酷千万なことも神境ではさしたることではないらしく、白衣の連中も当り前の顔をして眺めたり、手伝ったりしている。
天草次郎が睾丸を蹴られて七転八倒した時だけは、さすがに一同、いささか緊張して凝視した。
しかし三人の辛抱のよいこと。ウムムと歯をくいしばり、脂汗をしたたらせても、けっして音をあげない。根負けしなければ自然に勝つと信じているのである。
天草次郎は闘志益々さかん、肉体の衰えるにしたがって、目は凄味をまして妖光を放つが、さすがに光秀と半平は心身まったく衰えて、気息エンエン、冬眠状態、ウワゴトも言いかねない有様となった。放置すれば、神の術にかかってしまう状態に近づいている。
そこで天草次郎は考えた。
すると、天啓が浮んできた。
天草商事も急変する世の移り変りには勝てず、商運まったく行きつまり、借金で首がまわらない。なんとか起死回生の手を打たなければならないところへ追いこまれている。
これあるかな。マニ教をそっくり利用してやれ、と、ふと気がついた。
それはお歴々が嵐の如く駈けこんできて、蹴とばし、ブン殴り、突き倒した時であった。
天草次郎は、ふと夢からさめたように首をあげた。そしてスックと立ち上った。彼は一歩前へ出た。
「オオウ!」
ジャングルの猛獣のような唸り声を発した。
「オオウ!」
もう一声。
「ありがたし。ありがたし」
彼はガバとひれふした。
「尊し。尊し」
彼の全身ふるえている。
「マニ妙光。マニ妙光」
頭上に手をすり合わせる。狂おしい有様である。ふと頭をあげて、光秀と半平を見すくめて、
「コラ! お前ら、ボンヤリするな。あれが見えぬか。あれが聴えぬか。尊いお声がきこえているぞ。なぜ拝まぬか」
必死の形相に打たれて、光秀と半平もハッとひれふすと、
「マニ妙光。マニ妙光」
頭上に手をすり合せはじめる。
ひとしきり拝し終って、次郎はキッと端坐して、お歴々に一礼し、
「長らくの不敬、まことに申しわけありません。ただ今、神様の出御を拝し、さいわいに、不敬の段、お詫び申しあげましたところ、お許しをうけ、おききの如くに尊い神示を拝しました。これもひとえに皆様の慈愛によるところ、厚く感謝いたします」
神様の使者たちも、こう先を越されては勝手がちがう。しかし、さすがに落付いたもの、スキは見せない。
「ウム」
神の使様は大きくうなずいて、
「御神示を復唱してみい」
「ハッ。天草商事の全社屋、全事業、全財産を差しあげてお許しを乞いましたところ、おききゆるし下され、東京へ遷座し、かしこくも天草商事本社を神殿として御使用下さる由申渡されました。社の事業、全財産のみならず、私物一切奉納して、奉公いたします。皆様の宿舎には、社の寮、私の私宅、全部提供いたします」
「コウーラッ!」
よろこぶかと思いのほか、神の使者はにわかに鬼の相となって、一喝のもとに天草次郎を蹴倒してしまった。それと同時に、他の二名も、それぞれの使者に蹴倒される。
「キサマらの魂には、まだ曇りがあるぞ」
蹴倒しておいて、踏みつける。
と、白衣の連中、それをかこんで円をつくり、
「マニ妙光。マニ妙光」
高々と手をすり合わせて、合唱し、グルグル廻りをはじめる。ミコが鈴をふって駈けこんできて、列に加わる。太鼓や琴の奏楽が起る。
三十分ほど踏みつけて、失心状態になったころ、奏楽が終った。
魂に曇りがあるワケではない。これはマニ教の常套手段である。
神の術を施す先に、先方が術にかかってきたから、内々ほくそえんだが、さすがに神様は慎重である。オイソレと、とびつきはしない。
それから一週間にわたって、念入りに三人の魂をぬきあげる。しかし、円陣の合唱行列や奏楽が加わったのは、信徒の列に許されたシルシ。
魂のぬかれた状態には一定の目安があるから、経験深い神の使者が度をはかっているのである。
天草次郎の発狂ぶりにホッと気のゆるんだ光秀と半平は、もう自律性を失い、次郎次第、暗示の通りにうごく。
次郎も長々の拷問折檻に衰え果てゝいるから、自分を半狂乱状態にみちびくことはなんでもない。自己催眠自在の境地である。
神様の使者の慎重な試験を滞りなく通過することができた。
大喜びなのは、神様の一族郎党で、大半の信徒を失い、箱根山中にとじこもって、ほかに住むべき屋根の下もないところへ、東京のマンナカへ進出できることにあった。三階建の社屋から、大庭園をそなえた寮から、社長の私宅まで意のままに使用できるし、天草商事の全事業を手に入れて、自由に運営できる。
この建物が全部抵当にはいっており、つめかけてくるのは借金とりばかりとは気がつかない。
三人の魂をぬきあげたりと見すまして、東京遷座の用意にかかる。
サルトル・サスケがやってきて、
「東京へ御遷座の由、おめでたき儀で、慶賀の至りに存じあげます」
「イヤ、これもお前の働きによるところであるから、過分に思うぞ。石川長範は健在であるか」
「ハ。実はワタクシ石川組を円満退社いたしまして、その後は石川社長にも御無沙汰いたしております。本日参上いたしましたのは余の儀ではありませんが、御遷座に当って、かの正宗菊松をお下げ渡し願いたいと存じますが」
「ヤ。あの男ならば、もはや用はない。当方も処置に困っていたところであるから、遠慮なく連れて行くがよい」
「これは有りがたきシアワセに存じあげます。御遷座の上は、ワタクシも東京におりまするから、御用の折は遠慮なく申しつけて下さいますよう。フツツカながら、犬馬の労をいといません」
「ウム。信徒に非ずとはいえ、お前の志のよいところは神意にかのうている。時々遊びにくるがよい」
「ハハッ。ありがたきシアワセに存じ上げ奉ります」
と、サルトルは目的を達し、正宗菊松をつれだして、東京へ帰ることができた。
一方、天草次郎によびよせられた在京の幹部連中、痩せさらばえて額面蒼白、目玉に妖光を放つ社長から神示をうけ、東京へとって返して、数台のトラックを苦面する。
このトラックに幔幕をはり、神具はじめ家財一切つめこみ、信徒が分乗し、合唱奏楽高らかに東海道を走って、東京へのりこむ。
天草商事へ横づけにすると、直ちに社長室を神殿にかざりなして、奏楽合唱礼拝をはじめる。
社員一同を廊下にひれ伏させて、事業一切神の手にうつった旨を申しきかせ、社員は同時に信徒たり、下僕たる旨をも申し渡す。
ズラリとひれ伏した社員の頭上を幣束《へいそく》が風を切って走り、ミコの鈴が駈け去り駈け寄り、合唱がねり歩く。
三羽烏、いずれも蒼ざめはてて、目のみ光り、狂人以上にただならぬ様子だから、社員もゾッとした。
「なア、オイ。ウチの社長のような、ガッチリズムの冷血動物がマニ教になったかねえ。わが社をそッくり奉納したには困ったな。我々は神の下僕だとよ」
「笑ってちゃ、いけないよ。神の下僕、信徒ときたからには、月給は払わないぜ」
「なるほど」
「雲隠の奴に百万円だまされて、キミもたしか、貯金をおろしたようだが」
「ワッ。いけねえ。オイ、ふざけるな。かえせ」
「オレに返せたって、ムリだよ」
「ウーム」
一同、目を白黒させている。
とっぷり日の暮れるまで、社員はマニ妙光の合唱をやらされる。夜になると、一族郎党、神様をまもって、再びトラックに分乗し、神殿に定められた寮へ落ちつく。三羽烏もここへ泊められて、自宅へ帰してもらえない。
その翌日から、各新聞の賑やかなこと。妙光様と天草商事で持ちきりだ。そのくせ、マニ教の神殿は、信徒以外に侵入を許さないから、借金とりの苦心も実を結ばない。
こうして神様の陰にかくれて、天草次郎はユックリと起死回生の策をあみだすツモリであったが、碁や相撲のように個人の天分だけで復活できる世界とちがって、実業界はセチ辛く、天分通りにいかないものだ。
第一、マニ教の一日のカカリだけでも大変だった。彼らは時を得たりと存分にハデにやりだしたからである。
その十八 巷談社創立メデタシ/\のこと
それから三週間とたたない時だった。妙光様の謎が世人の心に益々深まっている時期である。
「巷談」という雑誌が創刊され、再版三版と重ね、五十万、イヤ、七八十万、なんの、百万は売り切ったろうという大変な評判であった。エロ雑誌ではないのである。
もっとも、清楚な美をしたたるばかりにたたえたお嬢さんの写真がのッかっている。この美人が大の曲者で、百枚にわたってマニ教潜入記を執筆している。
これを読むと、マニ教と天草商事のツナガリの第一歩がわかる。この記事には、神殿の行事から、神様の写真まで入れてあるから疑う余地がない。
美女は云うまでもなくツル子で、間宮坊介執筆のマニ教撮影苦心談ものっている。
マニ教東京遷座由来記を心ゆくまで記述している匿名人は、巷談社々長、サルトル・サスケであった。平山ノブ子の潜入記も面白い。彼女もすでに巷談社員であった。
正宗菊松の潜入監禁手記に至っては、涙なくして読み得ないものだ。薄給の教師が妻子すらも養い得ず、意を決して天草商事の入社試験をうけ、その翌日には、モーニングをきせられ、有無を云わさず箱根へ連れだされて、監禁をうけ、一時は狂気に至るテンマツ、天人ともに泣かしむる、とは、この如き悲惨、誇りなき人生でなくて何であろう。
この手記こそは、単なる実話の埒を越え、百万人の心をとらえた読物であったが、実は正宗菊松の本当の手記ではない。サルトルとツル子の合作なのである。なぜなら、菊松は、病院に伏して、昏々と眠っていたからである。
それから、又、一と月ほどすぎた。
正宗菊松はふと目を覚した。
目にうつるものが、まったく記憶にないのだ。ヤヤ、第一、寝台の上にねている。
「ハテナ?」
おどろいて、身を起しかけると、
「危い!」
声がして、とんできて、支えた人々。彼はそれを見て、驚いて、声をのみ、やがて、ブルブルふるえだした。
かけよって支えたのは、彼の妻子ではないか。田舎へ疎開したまま、まだ東京へ呼び迎えることもできなかった妻子たち。
「いったい、どうして?」
「あら、おめざめ」
「イヤ、ここは、どこだ?」
彼の妻は笑いだした。目に涙があふ
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