いぞ」
「一目見せていたゞかなければ、社長に報告ができません。又、天草商事から身代金をととのえて迎えに来ました折に、みんな魂をぬかれたとなっては由々しい大事で、箱根の山が降りられません。ぜひとも対面を許していただきたく存じます」
そこで対面を許され、白衣の若者に案内されて、でかける。
女中部屋の突き当りにある物置のようなところを改造して、入口に厳重な格子が組まれている。窓にも格子が組まれて、どこからも出入ができない。食器や便器の出し入れができる程度の隙間があるだけである。案内の白衣の男を認めると、格子際へ走り寄った正宗菊松。
「コウーラッ!」
格子から片腕をニュウとだして、虚空をつかんで、ひきよせる様子をする。
すると白衣の男がタハハとその場へ腰をぬかして、平伏、頭上で手をすり合せて、
「マニ妙光、マニ妙光」
おそれおののいて、祈りはじめた。
「コウーラッ!」
正宗菊松の眼はランランとかゞやき、髪はみだれ、神の怒りが乗りうつったように、はげしくジダンダふむ。
すると白衣の男が、
「ヒッ、ヒッ、ヒッ」
と呻きをたてゝ、足をバタバタふり、七転八倒、廊下をころがって、泣きだしたからサルトルもおどろいた。
「コウーラッ! キサマの魂をぬいたぞウ」
どうやら、たしかに魂をぬきあげたらしい。そういう手ぶりである。そして、ぬきあげた魂を、ためつすかしつ、見きわめている様子である。
「ベエーッ」
正宗菊松はとびのいて、ツバをはいた。そして魂を投《ほう》りだしてしまった。
「キサマの魂は腐っとる。ウジムシがたかっとるぞ。ベッ、ベッ。臭いのなんの」
よほど悪臭の強い魂らしい。正宗神様、イマイマしがって、鼻口をゆがめて、目をつぶっている。
魂を投げすてられたから、白衣の男の苦しむのなんの。
「アッ、アッ、アッ」
焦熱地獄の苦しみ。エビのようにヒン曲ったり、逆立ちして宙返りをうったり、脇腹をかきむしる。魂というものは脇腹にあるのかも知れない。
ずいぶん意地の悪い神様で、のたうち廻って苦悶しているのに、鼻をまげて臭がっているばかり、一向に魂を返してくれないのである。
ようやく気がついた様子で、
「もうよい。かえれ。また、ぬいてやる」
うるさそうに、こう言って、追い返してしまった。絶対の王者とはこのことであろう。白衣の男は這いながら、呻きつゞけて、消え去った。
菊松の手ぶりのどこに魔力がこもっているのか、サルトルには見当がつかない。菊松もサルトルの存在などは問題にしていない様子である。サルトルは霊界に無縁の俗物というわけかも知れない。
「エエ、失礼でざんすが、天草商事の正宗菊松常務でざんすか」
サルトルは小腰をかゞめて挨拶した。神様の両眼がギロリと青い炎をふいて光った。
「天草商事だと?」
「ハッ。イヤ。アタクシは天草商事の者ではございません。石川組のサルトル・サスケと申します青二才で。お見知りおきの程、ねがいあげます」
「キサマ、なんの用できたか」
「ハッ。社長の命によりましてな。実は、御存知かと思いますが、石川組の社長はマニ教の大の信者でありまして、当神殿に参籠のみぎりコチラサンをお見かけ致したと申しております。それでまア、正宗常務ともあろう御方がカンキンのウキメを見ておられるのはお気の毒であるから、アタクシに命じまして、アタクシは目下、天草商事と掛け合いまして、コチラサンの救出運動につとめております。なにがさて、マニ教から百万円の身代金を要求いたしておりますので、思うようにはかどりませず、長らく御不自由をおかけ致しまして、まことに申訳ございません」
神様は案外素直に俗界の話がわかったと見える。両手で格子をつかんで、
「オイ。オレを天草商事へつれて行け。早くせえ」
「ハッ。たゞ今すぐにはできませんが、追々、そのように、とりはからいます」
「早く、せえ! コラ!」
「ハ」
コワかなわじ、と、サルトルは匆々にひきさがった。長くぶらついていて魂をぬかれては大変である。
しかしサルトルはほくそえんだ。
正宗菊松が神通力を得たとは面白い。催眠術というものは、かかる人と、かからない人とあるそうだが、石川長範もマニ教の信者であるから、これも魂をぬかれる口かも知れない。さすれば悪玉かならずしも神通力に防禦力があるわけではない。別して天草商事には恨みをむすんでいる様子であるから、その一念、天草の三羽烏を金縛りにするかも知れない。
敵に機関銃あれば、我に正宗菊松を用いて魂をぬく手あり。サルトルはニヤリとした。
その十三 サルトルやや成功のこと
翌朝三名は密林の奥の阿片をうめた現場を実地検分にでかけた。
雲隠才蔵はサルトルとツル子が盟約を結んだ同志とは知らない。ツル子は天草商事のスパイだと思いこんでいるから、実地検分はツル子をあざむいて阿片の実存を信じさせるのが目的だと思っている。
サルトルはそッと才蔵にささやいて、
「雲さんや。たのむぜ。石油カンに黒いものをつめて埋めておいたから、いかにも阿片だというオドロキを表情たっぷり演技してもらいたいネ。ツル子さんは、なかなか観察が鋭くていらッしゃるから、油断はくれぐれも禁物」
あくまで、こう、だましておく。一方、ツル子にも注意を与えて、
「雲さんの眼力は油断ができませんから、あくまでスパイになりすまして、見破られないように、たのみますよ」
手筈をととのえておいて、三人は密林の奥へふみこむ。
「ここ、ほれ。ワン、ワン」
こう呟きながらサルトルが地を掘ると、石油カンが現れた。
「さて、雲さんや。雲隠大人《エンインダーレン》の眼力をもって、よッく、ごらん。これなる物質は何物なりや。そのものズバリ。いかが」
「ウーム」
才蔵はビックリ仰天。一と唸り。
少量をつまんで匂いをかいでみる。カンの中を掘ってみて、その内容の底までギンミして、
「ヤヤ。実に」
フウと大息。呆れはててサルトルの顔を見つめて、
「みんなホンモノの阿片じゃないか。エ、オイ、おどかしやがる」
「ハッハッハ。嘘だと思っていらっしゃるから、いけません。サルトルの一言、常に天地神明にちかって偽りなし」
「雲隠さん!」
ツル子はキッと彼をみつめて、
「ほかのカンも調べてみなければ、ダメよ」
「ウン。しかし、この一カンだけでも莫大な財宝だ。なんだか、夢みたいな話だよ。薄気味がわるくて仕様がねえや」
一つ一つカンを掘り出して、つぶさに調べて、才蔵は首をふりふり、
「どうも、いけねえ。ワシア、負けた。よう、言わんわ。大泥棒め。凄い物を掘りあてやがったな。証拠物件。見せなきゃいけないから、一とつまみ、もらってくぜ」
「オットット。そうは、あげられない。これだけで、タクサン」
ホンの二グラムほどつまんで、紙につつんでやる。
サルトルは元の通りカンをうめて、地をならし、
「人が見たら蛙となれ」
こうマジナイをかけて、帰途につく。
サルトルはニヤリと笑って、
「今晩のうちに、場所を変えておかなきゃいけない。天草商事さんは紳士でいらッしゃるから」
「バカ言え。キミみたいな大泥棒とは素性がちがってらア」
「大泥棒はないでしょう。イントク物資をテキハツしたにすぎんですな」
「うまいことを、やりやがったな。イマイマしい野郎じゃないか」
「ハッハッハ。やくべからず。駅まで自動車で送ってあげるから、早いとこ、東京へ帰っておくれ。どうも箱根においとくと、あぶない」
二人を汽車へ乗っけてしまった。
才蔵は車中でしばらく黙々、考えこんでいたが、
「ツルちゃん」
ツとよりそって、
「一しょに箱根へ戻らないか。一カン盗んで帰ろうよ。これから自動車で急行するんだ」
「いけないわ。そんなこと」
「バカだなア。キミは。土の中に埋められている阿片は誰にも所有権がないのさ。それを持って帰って所持している者に所有権が生じるだけさ」
「あなた一人で掘りだしてらッしゃい」
「それは掘りだすのはボク一人だけでやるさ。ツルちゃんは旅館で待っといで。ね。ボクはたちまち大ブルジョアだぜ。だから、ツルちゃん。ボクと結婚してくれよ」
ツル子は呆れた。そうだろう。阿片がニセモノであることを心得ているからである。
だまして結婚を申しこむ才蔵の心根がにくらしい。かと云って、嘘つきなさい、ニセの阿片と承知の上で、とキメつけると失敗だから、セイカタンデンに力をこめて、にらみつけて、
「泥棒してお金持になりさえすれば、私が結婚するものと仰有るのね。ずいぶん侮辱なさるわね」
「チェッ。ダイヤモンドに目がくらむのは貫一お宮の昔からの話だぜ。美人にはブルジョアを選ぶ力があるのさ。お金と結婚することは女の名誉だい。頭が古いぜ」
「お金と結婚なんかするものですか」
「チェッ。キゲンなおしてくれよ。とにかく降りて、ゆっくり話し合おうじゃないか」
「社用はどうするのよ。義務を果すことを知らない人はキライ」
「バカだなア。社へ帰って報告してみろよ。天草商事ともあるものが、金を払って土の中の阿片を買うものか。土の中のものは掘りだして持って来たものに所有権があることを、たちまち実行してみせてくれるだけの話さ。どうせ人がやるものなら、こッちが先にやるのが利巧さ。社の方へは、ニセモノの阿片だったと報告しておきゃ、いいんだよ」
ツル子は才蔵が悪者なので、呆れてしまった。こういう悪者たちは、是が非でも、こらしめてやる必要がある。ツル子はサルトルと二人で、悪者たちを退治ることを夢みて亢奮を覚えたが、サルトルがもう一とまわり大きな悪事の立役者であるのに気付くと、ちょッと暗い気持になった。
けれども勇気をふるい起すと、あとは爽快になるのである。
ツル子はひとつの計画をもち、大きな期待をかけていた。それはサルトルを悪道から救いだすことであった。ツル子の本心はサルトルに二千万円の荒稼ぎをさせたり、商事会社を起させたりすることではなかった。正道につかせたいのだ。
才蔵のようなチンピラ悪者とちがって、サルトルはマトモな才腕もあるし、厚い人間味もあるのである。本来は正義を愛する人間であり、正道についても、成功しうる人物なのだ。
天草商事の悪者どもをこらしめるハカリゴトは、同時にサルトルを正道に立ちかえらせるハカリゴトにも利用したい。ツル子はこう考えて、期待にもえ、計略の工夫に熱中したが、それが彼女を爽快な亢奮にかりたててくれるのである。
憎さも憎し、チンピラ悪漢。ツル子は才蔵をにらみつけて、
「人を悪事に誘うのは、よしてよ。一人で、はやく引返して、ブルジョアになりなさいな。私、社へありのまま報告します」
「チェッ。つまらねえの。そんなのないや」
「ないこと、ないでしょう。一足先に、ブルジョアになれてよ。早く、ひっかえしたがいいわ。さア、はやく」
「ツルちゃんが不賛成なら、ボクも、よすよ」
「私のせいにすることないでしょう」
才蔵はくさりきって、シカメッツラをしている。
目的はツル子を誘って旅館へ泊るところにある。ニセモノを掘っても仕様がない。
しかしツル子と共に箱根を往復する機会は今後もありうる見込みがあるから、はやる胸をおし殺して、我慢している。
二人は天草商事へ帰って報告した。
「全然ホンモノだもの。おどろいたッたら、ありゃしねえや。一カン、七八貫、十二カン、全然純粋ときやがら。宝の山を持ちながら、奴め、処分に困っていやがるのさ」
才蔵はポケットから阿片の紙包みをだしてみせた。中味はホンモノに包みかえてきたのである。
「フウン。ホンモノか」
半平はこう唸ったが、一座はシンとしてしまった。ひらかれた紙包みの中の二グラムほどの阿片をにらんで、一同、しばし、声をのんでいる。
天草次郎はちょッと時計をのぞいたが、
「近藤ツル子、すぐ、箱根へ戻れよ。五時には、着ける。サルトルの宿へ泊って、彼を宿から動かすな。さて、それから、と」
彼は考えて、
「明日の午ごろ、小田原の例のところへサルトルを案内しろよ。そこで商談するからと云って。二時ごろまで、ひきとめといたら、いい
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