もガッチリ無類で、思うようにモウケさせてはいたゞけません」
「私がお役に立ってあげたら、あなたのところで私を使って下さる?」
「アタクシのところと申しましても、アタクシはシガないヤミ屋で」
「阿片を売って二千万もうかれば立派な会社がつくれるではありませんか」
「まさにその時こそはアタクシも一国一城のアルジですな。おっしゃるまでもなく、その時こそはサルトル商会の一つや二つひらきたいものです」
「すごいわね。私がお手伝いしてさしあげれば成功するかも知れないのよ。いゝえ、きっと成功するわ。ですから、サルトルさん、私を重役にしてちょうだいな。資本金二千万円か。財閥というワケにはいかないわね。でも重役なら悪くないな。平社員じゃイヤよ。私の力でかならず成功させてあげますから」
「これは有りがたきシアワセです。それはもう一国一城のアルジとなりました上は、重役はおろか、わが社の女神としておむかえし、犬馬の労をつくさせていたゞきます」
「あなたは冗談なのね。笑ってらっしゃるわね。どうしてマジメにきいて下さらないのよ。私、シンケンなんです。天草商事なんて、大キライ。こんなところに働くのはイヤなんです。私の言うことマジメにきいてちょうだい。そのかわり、私も本当のことを言いますわ」
ツル子の顔から血の気がひいてしまった。まんざらジンのせいだけではないらしい。小娘にはスパイはつとまらない。
ツル子の気魄はリンリンとたかまり、するどくサルトルを見つめて、
「私をたゞの接待係と思ったら、大マチガイよ。こんな広い邸内に、ただ一人、酔っ払いのソバに坐ってる接待係なんて、いやしないわ。わかったでしょう、サルトルさん。私、スパイなんです。本当にあなたが阿片もってらっしゃるかどうか、それを突きとめる使命をおびたスパイです」
一気に告白してしまった。タヨリないスパイがあったもの。
サルトルもこれにはドギモをぬかれた。アプレゲールの病状の一つに、自虐趣味、露悪症、告白狂等々、一連の中毒症状があるのである。
サルトルに限って自虐趣味もないし、カストリ趣味もない。職業野球やタカラクジに亢奮する趣味もない。まことに無趣味な男で、アプレゲールの右翼である。
特攻隊的暴露症には縁がないから、その凄みにはタジタジ。
「スパイとおっしゃると、つまり、間者《かんじゃ》ですな」
などと、てれかくしに古風な言葉に英文和訳したが、このへんが渉外部長のあさましいところ。しかし怨みをふくんでランランたるツル子の瞳を見ると、ノンキに英文和訳などしている時ではないことが分った。
ジンの魔力によるせいでもあるが、一気にすべてを押しきった告白。清浄な処女性が透明な水滴となって怨みの上に怒りの涙をむすんでいる。アプレゲールの中毒的告白慢性症とちがって、品格がこもり、情熱と香気がみなぎっている。無趣味のサルトルも、気品に打たれてブルブルッとふるえた。
その一瞬にツル子の美しさ気高さが骨身にしみこんだというから、見かけによらぬオメデタイ男で、実にもうダラシなく感動してしまった。
「そうですか。あなたがそこまで打ちあけて下さる上は、アタクシも何を隠しましょう。御明察の通り、阿片などは富士山から箱根山をみんなヒックリかえしても、一グラムも出てきません」
「アラ、そんなこと、なんでもないわ。天草商事なんて悪徳会社はウンとだましてお金をまきあげてやるがいゝわ。とても悪漢よ、この会社は。私がお手伝いして二千万円まきあげてやるわ」
どっちが悪漢だか分らない。ひどいことになるもので、恋人のなすことは万事に超えて崇高無比に見えるのだから始末がわるい。
サルトルは感謝感激、夢|心持《ごこち》、ここで二人の心は寄りそったが、ちょうど夜が白々とあけたから、ツル子は別荘番のオバサンの部屋へ寝床をしいてもらって、ねむる。サルトルも改めて一とねむり。
目をさまして、ツル子は出社し、重役三羽烏に報告する。
「フウン、そうかい。じゃア、やっぱり、本当の話かな。だけど、どうして本当らしいと分ったの。サルトルの奴、ツルちゃんに惚れちゃったんだね。手を握ったの?」
半平は内心おだやかでないから、根ぼり葉ぼりききたゞす。
「アラ、そんなこと、なさらないわ」
「じゃア、どうしたのさ。どうかしなければ、判断のしようがないもの、そこをハッキリ云って下さいよ。ねえ、ツルちゃん」
「どんなことって、言葉だけではハッキリわかるはずありませんわ。でも、私には埋めた阿片見せて下さるって仰有ったわ。私、箱根へ行って、見てきます」
「なるほど。しかしツルちゃん、あなた阿片見たことあるの」
「いゝえ」
「それじゃア、なんにもならないや。誰か阿片の識別できる人を連れてくように頼んでくれなくちゃア」
「あからさまに、そうは言えないわ。サルトルさんは、私が好奇心で見たがってると思ってらっしゃるでしょう。識別なんてことを云えば、見破られてしまうわ」
「なるほど。そうだな」
「雲隠さんでしたら、今までの行きがかりで、変じゃないから、一しょに見せて下さるように頼んであげていゝと思うわ」
「それだ。それに限るが、雲さんや。キミ、阿片見たことある?」
「見たことあるかッて、バカにするない。雲隠大人《エンインダーレン》といえば、中国じゃア鳴らした顔だい。阿片ぐらい知らなくって、どうするものか。黒砂糖みたいなもんだよ」
「フン、そうかい。こいつは都合がいゝや。じゃア、ツルちゃん、サルトルをうまくまるめて、二人で見とどけて下さいね」
ツル子の思う通りになった。
才蔵はツル子の本心を知らないから、シメシメ、万事思う通りになった、箱根でツル子をわがモノにしようと、これも内々ほくそえんでいる。
ツル子はサルトルに逐一報告して、計画をねった。
「雲隠さんを信用しちゃ、いけなくってよ。とても腹黒い人だから。才気にうぬぼれているから、だまして使えば、調法かも知れないわ」
ずいぶん人の悪い観察をする。これでは雲さんもやりきれない。
「私、おねがいがあるのよ。箱根へ行ったら助けていたゞきたい人があるの。今マニ教にカンキンされているんですけど」
「ハヽア。なるほど。寝小便の重役ですな」
「えゝ、そうよ。でも重役というのは、ウソなのよ」
ツル子は正宗菊松を重役に仕立てゝ、マニ妙光様の生態を撮影したカラクリを説明した。たとえ三日の間でも、お父さんとよんだ寝小便じいさんを、魂をぬかれッ放しにカンキンしておく無慙さには堪えられない。
「天草商事のチンピラときたら、それはとても残酷な悪漢なのよ。あれほど利用しておきながら、助けてあげる計画などは相談したこともないのよ」
「なるほど。きけばきくほど、骨の髄からの新興財閥ですな」
「あんな悪者たち、いけないわ。私たちは善人だけの会社をつくりましょうよ。そして、正宗さんを本当の重役にしてあげましょうよ。心の正しい、お人好しなのよ」
「しかし我々の計画は善良なものではありませんな」
「そんなことなくってよ。はじめてお金をもうける時は、どんなことをしてもいゝのよ。お金ができてから、紳士になるのよ。それが当然なのよ」
ひどい当然があったもの。しかし、これが、案外、当今の真理かも知れない。
その十二 正宗菊松神様となること
サルトル、才蔵、ツル子の三名は箱根へついた。
サルトルは石川長範に報告して、
「イヤ、どうも。敵もさるもの。一筋縄では手に負えぬ曲者です。アタクシも社長に広言をはいた手前がありますから、かくなる上は討死の覚悟で一戦を交えることに致します。いさゝか戦闘は長びきますが、当分の間、アタクシをこの仕事に専念させていたゞきたいので、一向に華々しい戦果もあげえず、ムダに時間のみ費して恐縮ですが、アタクシも後へひくわけには参りません。戦果なき時は、いさぎよく責任をとりますから、ここはアタクシに一任していたゞきたく存じます」
「よろしい。キサマを見込んで一任するが、立派にやってみい。オレは東京へひきあげるから、後はまかせる。しかしキサマ、すごい美形をつれてきたそうだな」
「ハア。あれなる美形は敵の間者で」
「間者?」
「シッ。声が高い。アタクシの眼力に狂いはありません。敵の策にのると見せて、当地へつれて参りましたが、間者というものは、これを見破っている限り、これぐらい調法な通信機関はありませんな。こちらで、こう敵方へ知らせたいと思うことを、ちゃんと敵方へ報告してくれます」
「ミイラとりがミイラになるなよ。キサマの相には、女に甘いところがある。見るに堪えないところがあるぞ」
「ハハッ。相すみません。充分自戒しておりますから、御安心のほどを」
そこで石川長範は愛妾とゴリラをつれて帰京してしまった。
サルトルはツル子への約束、正宗菊松を助けてやりたいと思うから、マニ教の神殿へ偵察におもむいた。
石川組の社長の片腕であるから、神様も粗略には扱わない。内務大臣が自室へ招じ入れて、
「ナニ、正宗のことについて、話があるとな」
「ハッ。実は社長に後事を託されまして、命によって伺いましたが、天草商事も左前の様子で、身代金がととのわず、社長も間に立って困却しております」
「イヤ、それはイカン。身代金というものは神示によって告げられたもので、神の御心である。神の御心であるから、俗界と違って、ビタ一文、まけるわけには参らぬ。左様な不敬は相成らぬぞ」
「それはもう重々心得ておりますが、俗に無い袖はふれぬ、と申しまして、神界と俗界の結びつきは、まことに、むつかしゅうございますな」
「しかし正宗には当方も困却しているぞ。匆々に身代金をたずさえて引きとってくれなければ、当方も迷惑である」
「ハハア。例の寝小便ですな」
「イヤ、そのような生易しいものではない。正宗が神の術を使いよるので、こまる」
「神の術と申しますと?」
「魂を抜きよるので困っておる」
「なるほど。魂がモヌケのカラというわけですな。抜いてやりたくても、アトがないというわけで。なるほど、神様もお困りでしょう」
「そうではないぞ。正宗が人の魂をぬきよるのじゃ。若い者も、ミコも、みんな抜かれよる。よう抜かれるので、気味がわるい。参籠の信徒も抜かれる。神様の魂もぬいてくれるぞと喚きおってダダをこねよるから、これには閉口いたしておる」
サルトルがおどろいたのはムリがない。
内務大臣は眉間に憂いをたたえて、心の晴れない様子である。
「奇妙なことがあるものですな。神様の術を盗みましたかな」
「あるいは神様の分身であるかも知れぬが、荒ぶる神で、和魂《ニギミタマ》というものが生じていないから、扱いに困却いたしておる」
「和魂を生じますと、ノレンをわけるというわけで」
「それはその時のことであるが、信徒の病気もよう治しよるので、ウチのミコも若い者も信徒も、一様に正宗を信仰しよるので困っておる」
「病気も治しますか」
「人の病気はよう治しよる。自分の寝小便は治しよらんから不思議であるな。あんまり術がよう利きよるので、薄気味わるうて、かなわんわ。お前の方で尽力して、匆々正宗をひきとるようにしてくれぬと、マニ教の統率が乱れて、まことに迷惑千万である」
「それはお困りのことゝ拝察いたしますが、それでは匆々に追放あそばしてはいかゞで」
「神慮によって定められた身代金であるから、そうは参らぬ。正宗を放逐したいのは山々であるが、彼によって幾重にも迷惑いたしておるから、益々取り立ては厳重であるぞ」
「正宗さんのお部屋はどちらで?」
「一室にカンキン致してある。奴メがオツトメの座へ現れよると、一同の魂をぬきよるので、こまる。守衛をつけてカンキンしても、守衛の魂をぬいて出て来よるので都合が悪いな。やむえず大工をよんで座敷牢をこしらえたが、このために五万円かかっているから、これも天草商事から取り立ててもらわねばならぬぞ。しかし奴メは座敷牢の格子越しに術を施しよるので、まことにどうも扱いに困却しているな」
「それはお困りのことですな。相済みませんが、アタクシに対面させていたゞけませんか」
「さしひかえた方がよ
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