べそをかく。たゞもう夢中に祈るほかには手がなかった。
 一方、こちらは取り残された半平一行。
「えゝ、白衣の御方」
 ペコンと頭を下げたのは坊介である。
「すみませんが、便所へひとつ、行かして下さいな。俗界の人間は、これだから、いけねえや」
 坊介は便所の中から、つぶさに建物を観察する。大きすぎて、とても全貌はわからないが、台所では神様の昼食で人々が立ち働いている様子だから、裏を廻ると見つかってしまう。木立の繁みに隠れて、庭を廻る一手あるのみである。
 坊介は戻ってきて、
「どうも、いけねえ。フツカヨイに、下痢をやッちゃったい。腹がキリキリ痛んで、いけねえ」
「薬、あるかい」
「ま、待ってくれ。ちょッと、寝かしてくれよ。ムム、痛え。ウーム。盲腸じゃねえかな。ムムム」
「こりゃ大変なことになりやがったね。あんまり、のむから、いけないよ。アレ、エビみたいに曲っちゃッてピクピクやってるよ。才蔵クン。キミ、抑えてやんないか。ノブちゃん、さすッておやり」
「やい、しッかりしろい。コン畜生」
 才蔵が後へまわって、武者ぶりつく。ムムムとひッくりかえる。ひッくりかえす。ドタンバタンとレスリングの試合のようなことをやっている。
「ムム、いけねえ。こゝで息をひきとるかも知れねえや。ウーム。痛い。あとあとは、よろしくたのむ。ムムム」
「キミだけ帰って、医者へ行ったら」
「とても、歩けやしないよ。ムム」
 二人の白衣の人物も、これには手がつけられないと観念して、奏楽が起ると、我関せず、目をつぶり、手を高々と頭上に合わせ、
「マニ妙光。マニ妙光。マニ妙光」
 一心に祈っている。
「いゝかい。思いきって、やッちゃうからね」
 坊介は奏楽の騒音にまぎれて、そッと半平にさゝやく。半平はうなずいた。
「やるからにゃ、フン捕まる手前のところまで踏みこんで、ねばるから、キミたち、騒ぎがきこえたら、門をあけて逃げるんだよ。するとボクも飛鳥の如く、門をくゞって逃げる」
 半平は、又、うなずいた。
「ムム、痛え。どうにも、我慢ができねえや、ウーム。ちょッと、便所へ、やらしてくれ。腹を押えて、ジッと、しばらく、シャガンでくるから。ムムム。ムム」
 坊介は這うようにして、便所へ行った。廊下から、そッと庭へとび降りた。
 庭の奥の繁みまで一応退避して、建物の全貌をメンミツに頭へ入れる。奏楽はマン幕をはりめぐらした中央の座敷から起っているが、ズッと奥に離れがある。こゝぞ、神様の寝所であろうと狙いをつけた。
 忍びよると、居る、居る。神様は寝床に腹ばいになって、ゴハンをたべているのである。行儀のわるい神様だ。四十ぐらいの女神である。神様の手が、ひどく小さく、まッしろだった。
「落着け。落着け」
 彼はジッと時を忍んだ。また、奏楽が起った。その音にまぎらして、二枚、三枚。樹の上へ登って、三枚。窓まで近づいて、また、パチリ。神様は全然知らなかった。
 次に、奏楽中の神殿へ忍びよる。マン幕のスキ間から、うつしたが、どうも思うように行かない。
「エヽ、面倒な。やッちまえ」
 マン幕をすこしもたげて、首を突ッこんで、ジーとやる。
「ヤッ」
 白衣の一人が、気がついた。その時はもう後の祭。坊介は、白衣の男を見つめて、大胆不敵にニヤリと笑った。芸術家の満足感であった。彼はライカをポケットへ収めた。
「アバヨ」
 サッと身をひるがえす。写真屋ともなれば、逃げの一手は場数をふんでいるのである。ドッと追う人々は、マン幕にさえぎられて、手間どった。音をきゝつけて、飛鳥の如く身をひるがえし、靴をつかんで逃げだしたのが、ツル子にノブ子。その速いこと。ちかごろは、もっぱら男女同権。その喧嘩ッ早いこと。嘘だと思ったら、やってごらんなさい。ハイヒールをぬいで右手でつかんでサッとかまえる。ポカンと殴ってサッサと逃げる。もはや男は勝てません。
 半平と才蔵も女の子の次ぐらいはスバシコイ人物だから、白衣の人物などにオサオサつかまる筈はない。白衣の人物には何が何やら分らぬうちにサッと立って靴をつかんで一目散。
 門をあけると一番先に風の如くスットンで出て行ったのは誰あろうライカの坊介であった。つゞいて半平の一行もドヤドヤと門を出てしまえば、もう大丈夫。
「ヤーイ。アバヨ」
 半平はふりむいて、白衣の面々に手をふって挨拶する。
 そのとき白衣の人々をかきわけて逃げでようとしたのが、正宗菊松であった。魂はぬかれていても、必死である。人々がワッとマン幕かきわけて坊介を追うと、サテハと合点し、こゝぞイノチの瀬戸際、逃げおくれてなるものか。泣きほろめいて必死に走った。然し、逃げる人間が、追っかける人間の後を走るというのはグアイがわるい。どうしても、こっちが敵を追いこさなければならないからである。おまけに、自分の後から走ってくる
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