たしかに、なにかが、全快したに相違ない。
「そうですか。どうも、ボクには、よく分らないが、巷談社の社長の方は、天草商事の方ですかな」
「イイエ。サルトル・サスケさん」
「サルトル・サスケ? 雲隠才蔵とちがいますか」
「イイエ。天草商事に関係のない方です」
菊松の記憶にはないワケだ。サルトルに会った時は、もう狂って、マニ教の座敷牢にいたのだから。
「その方が、どうしてボクを重役にして下さったのでしょう?」
ツル子は真ッ赤になってうつむいたが、ようやく、気をとり直した。
「サルトルさんは、私のフィアンセです」
「ツル子さんも、巷談社の重役ですのよ。あなたが専務。こちらが常務。ワケは、いずれ、ゆっくり話しますから、一度アリガトウ、と仰有い。今日があなたの新しい人生よ。そして、すこし、休みましょう。全快はしても、催眠薬の影響で、身体が衰弱しているから、それが恢復するまでに、あと一ヵ月ぐらい静養しなければならないのよ」
「そうか。そうか。心配をかけて、すまなかった。そう云えばわかったような気がする。ボクが愚かで、意気地なしだから、いろいろ御迷惑をかけお世話になったに、きまっている。たしかに、そうにちがいない」
「いいえ、そんな」
「イヤ、ツル子さん。わかっています。あなたは、たしかに、心の正しいお方だ。お世話になって、すみませんでした」
厚く礼をのべると、菊松は、又、昏々としばらく眠った。
それから、一ヵ月、菊松は退院した。
又、一ヵ月。菊松は転地静養から、まったく元気をとりもどして、はれて出社した。
社長のサルトルは時々病院へ見舞ってくれたから、とっくに顔ナジミだ。ところが意外な人物が、ニヤニヤしながら、近づいてきた。
「正宗さん、ボク、覚えてますか」
どうして、その顔を忘れよう。白河半平であった。
半平は人の思いは気にかけない。いつもただ、ニコニコ主義である。
「アッハッハ。ボク、白河半平。ね。ホラ、知らぬ頼の半兵衛ですよ。天草商事がつぶれちゃったんで、サルトルさんに拾ってもらいましたよ。とにかく、腕に覚えがありますからね。相変らず、編輯長ですよ。今度は重役じゃ、ありませんけどね。アハハハ。しかし、ボクの行く道たるや、恨みなく、怒りなし。常に、ただ、ニコヤカ、和合をモットーとしています。もっとも、ボクが人に恨まれ、人に怒られる不行跡は数々犯していますがね。
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