実業界はセチ辛く、天分通りにいかないものだ。
 第一、マニ教の一日のカカリだけでも大変だった。彼らは時を得たりと存分にハデにやりだしたからである。

   その十八 巷談社創立メデタシ/\のこと

 それから三週間とたたない時だった。妙光様の謎が世人の心に益々深まっている時期である。
「巷談」という雑誌が創刊され、再版三版と重ね、五十万、イヤ、七八十万、なんの、百万は売り切ったろうという大変な評判であった。エロ雑誌ではないのである。
 もっとも、清楚な美をしたたるばかりにたたえたお嬢さんの写真がのッかっている。この美人が大の曲者で、百枚にわたってマニ教潜入記を執筆している。
 これを読むと、マニ教と天草商事のツナガリの第一歩がわかる。この記事には、神殿の行事から、神様の写真まで入れてあるから疑う余地がない。
 美女は云うまでもなくツル子で、間宮坊介執筆のマニ教撮影苦心談ものっている。
 マニ教東京遷座由来記を心ゆくまで記述している匿名人は、巷談社々長、サルトル・サスケであった。平山ノブ子の潜入記も面白い。彼女もすでに巷談社員であった。
 正宗菊松の潜入監禁手記に至っては、涙なくして読み得ないものだ。薄給の教師が妻子すらも養い得ず、意を決して天草商事の入社試験をうけ、その翌日には、モーニングをきせられ、有無を云わさず箱根へ連れだされて、監禁をうけ、一時は狂気に至るテンマツ、天人ともに泣かしむる、とは、この如き悲惨、誇りなき人生でなくて何であろう。
 この手記こそは、単なる実話の埒を越え、百万人の心をとらえた読物であったが、実は正宗菊松の本当の手記ではない。サルトルとツル子の合作なのである。なぜなら、菊松は、病院に伏して、昏々と眠っていたからである。
 それから、又、一と月ほどすぎた。
 正宗菊松はふと目を覚した。
 目にうつるものが、まったく記憶にないのだ。ヤヤ、第一、寝台の上にねている。
「ハテナ?」
 おどろいて、身を起しかけると、
「危い!」
 声がして、とんできて、支えた人々。彼はそれを見て、驚いて、声をのみ、やがて、ブルブルふるえだした。
 かけよって支えたのは、彼の妻子ではないか。田舎へ疎開したまま、まだ東京へ呼び迎えることもできなかった妻子たち。
「いったい、どうして?」
「あら、おめざめ」
「イヤ、ここは、どこだ?」
 彼の妻は笑いだした。目に涙があふ
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