もしあればトノサマはいつか約束を履行するつもりであったかも知れない。倉庫に紙はなかった、そうなるとトノサマは怪しい。けれどもトノサマは倉庫に紙があると信じていた。そして信ずべき条件が揃っている、たとえばトノサマは誰かにだまされ、そこに紙があるものと思いこまされていた、そうなるとトノサマはサギ師でなく商取引の約束をまだ果していなかった、それだけだ、という弁解が成立つ可能性がある。
 世耕事件の静岡の糖蜜問題がこのデンの好見本で、世耕氏へこの情報がくるまでに有村とか、佐伯、宮川、米本、渋谷、前田、永田などとリレーがあり、結局モトは矢島松朗というサギ師の組んだ仕事で、矢島のいう砂糖は実在するものではなかったが、三宅男爵という架空の人物や一条公爵などゝいう名が利用されて効果をあげ、人々はその品物が実在するものだと信じていた。つまり矢島だけがサギ師であり、他の人々はサギにかゝった被害者だということになる。
 このサギの性格は、又、これを利用するに大いに便利で、つまり倉庫に商品がないと分っていても、あると信じる条件がありさえすれば、自分にサギの意志はなかったと弁解できる性質のもので、世耕情報以来ブ
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