のトノサマは約束の品物を渡さないカドによってサギだというが、オカミは約束の品物をくれない、金はとらないからサギじゃないのかな、然しサギの性格で、尚その上に、自らの罪を自覚することを知らず、国民に耐乏をとき、道義のタイハイを説教することも忘れない。
役所のやることに不服があって役所へ談判に行くと、こっちは知らない、もっと上の役所からの指示だという。
軍服事件だの何々事件の連中も、私は知らない、あの人があの倉庫にあると云った、だから有るものと信じた、と云う。サギ事件、役所の役人、同じ性格じゃないか。どこにも道義など有りやせぬ。
パンパン、ヤミ屋と、オカミのやることゝ、どっちが道義タイハイしているか。
パンパンをやるには勇気がいる。ヤミ屋となるにも勇気がいる。罪や転落と戦う大勇猛心がいる。役人にはいらぬ。役所という座席に坐ることによって、罪を自覚することもいらないばかりか、わが欠配を強要し、それに服せざることが悪徳であると言うことすらできる。
私は然し、それが大罪だと云うのではない。大罪ではない。自らの罪を自覚せざる点に於て、隣組座やマーケット座と同じ罪であり、自らの罪を自覚して自
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