る必要もなく、たゞ自分の権利を主張すればよい。だから従業員組合座もマーケット座も原罪の自覚などに関するところは毛頭ないが、ヤミ屋の方は古代だから罪と争う。大いに勇猛心がいるのである。
 ヤミ屋がいゝか、座がいゝか、いったい、どっちがいゝのであるか。両方ともに、よろしくない。しかし、ともかく、黒白をつける必要があるではないか。

          ★

 狸御殿の殿様は法廷でうまいことを言っている。殿様曰く、自分は商品を納める約束で金を貰った、たまたま当にしていた紙がすぐ手にはいらず、約束を履行しないうちに捕まったゞけで、もうちょッと時間があればやがて約束を履行し得た見込みであり、したがって、合法的な商取引であり、たまたままだ約束を果していなかったゞけのこと、サギではない、と。
 然し法廷というところはトノサマの胸を解剖して心理を判断するという直接の方法を用いる術のないところで、人間の心理は、こう思った、思わなかった、それを直接つかまえ突きとめるという術はない。
 だから側面から調べる。トノサマがどこそこの倉庫に紙があると云った、その倉庫に紙があり、それをトノサマが動かす力があったか、もしあればトノサマはいつか約束を履行するつもりであったかも知れない。倉庫に紙はなかった、そうなるとトノサマは怪しい。けれどもトノサマは倉庫に紙があると信じていた。そして信ずべき条件が揃っている、たとえばトノサマは誰かにだまされ、そこに紙があるものと思いこまされていた、そうなるとトノサマはサギ師でなく商取引の約束をまだ果していなかった、それだけだ、という弁解が成立つ可能性がある。
 世耕事件の静岡の糖蜜問題がこのデンの好見本で、世耕氏へこの情報がくるまでに有村とか、佐伯、宮川、米本、渋谷、前田、永田などとリレーがあり、結局モトは矢島松朗というサギ師の組んだ仕事で、矢島のいう砂糖は実在するものではなかったが、三宅男爵という架空の人物や一条公爵などゝいう名が利用されて効果をあげ、人々はその品物が実在するものだと信じていた。つまり矢島だけがサギ師であり、他の人々はサギにかゝった被害者だということになる。
 このサギの性格は、又、これを利用するに大いに便利で、つまり倉庫に商品がないと分っていても、あると信じる条件がありさえすれば、自分にサギの意志はなかったと弁解できる性質のもので、世耕情報以来ブ
前へ 次へ
全13ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング