勢のこもつたとき、左手の品物を敵に投げつけ、同時に身を投げる如くにして敵の向ふ脛を右手の棒で横に払ふ。向ふ脛をなぐられゝば弁慶も泣く。
 第三の奥儀は公開できぬ。この奥儀は一人にて三人の敵に勝つ方法といふのであるが、この夏、井上友一郎愛用のスタンドバーへ這入つて酔つ払つたら、三人のヨタ者にとりかこまれた。こゝのマダムがヨタ者を追つ払つてくれたので奥儀を用ひずにすんだけれども、かういふ場合があるのだから、この術だけは打開けられぬ。いつぺん打開けると、神通力を失ふ仕組の虎の巻なのである。
 右の通り、僕も近頃は三つの奥儀を胸にたゝんで何喰はぬ顔をしてゐるのだが、電車の中だの食堂だの人々の眼が血走つてゐて、どうも殺伐でいかぬ。菱山修三のお母さんは若い頃ナギナタの達人だつたさうで、菊五郎の踊りを見ると、あの身振りは残身[#「残身」に傍点]にかなつてゐるなどゝナギナタの言葉で感動するさうであるが、奥ゆかしい話である。僕も近頃ひそかに武術の工夫をつんだから、人々は殺伐だけれども、僕だけなごやかである。心得があると、いゝものだ。こんど高木卓に会つたら剣術の極意に就て一席論じてやらうと思ふ。



底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「現代文学 第五巻第一一号」大観堂
   1942(昭和17)年10月28日発行
初出:「現代文学 第五巻第一一号」大観堂
   1942(昭和17)年10月28日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:noriko saito
2008年9月16日作成
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