きて楽書を取上げた。お前は私の時間は出席しなくてもいゝ、と言つた。仕方がないから、ハイと言つて家へ帰つた。その学年中、用器画の時間は欠席した。出なくてもいゝと言はれたのだからこつちのせゐではない。もう落第だと思つて答案も白紙をだし、覚悟をきめた。二学期、丁をもらつた。三学期にも白紙の答案を出して落第して、叱られたら、家出して、満洲へ行かうかと思ひ、白系ロシヤの美人と恋を語ることなどを考へたりしてゐたが、やるせなくて面白くなかつた。ところが不思議に及第して、おまけに用器画の三学期間の平均点が乙になつてゐた。二学期丁だつたのだから三学期には百二十点ぐらゐとらないと乙にはならぬ。わけの分らない先生だと思つたが、先生に済まないと思つた。用器画の先生に会ふのが辛くて、転校したかつたが、僕を入れてくれる中学はもう東京にはないので、あきらめて新学期に出てみたら、先生の方が学校をやめてゐた。
 この出来事があつたので、同級生が急にビックリして、九州くづれのオヂサン達(まつたくオヂサンであつた)がみんな僕を大事にしてくれて、それからの二年間は平和で幸福であつた。ヨタモノの中学だから、いつも喧嘩があつたが、僕だけはどのヨタモノからも大切にされて、如何なる無礼な仕打も受けずに済んだ。
 三年前、小田原に住んでゐたとき、一ヶ月ばかり留守にして帰つてみたら、勝手口の南京錠が外されてをり、内側から鍵がかゝつてゐた。入口の戸、雨戸、一つ/\調べてみたが、みんな内側から鍵が下りてゐる。つまり内側には何者かゞゐる証拠である。君子は危きに近よらずといふ規則であるから、ガランドウ(駅前のペンキ屋)へ行つて助太刀をたのんだ。ガランドウは菓子屋の屋根の上で看板を書いてゐたが、書きかけの一字だけで仕事をやめてしまひ、十六の倅に金棒と金鎚とヤットコと木刀をズックの袋につめて持たせ、僕の庵へやつてきた。けれども、一時間ぐらゐ過ぎてゐたから、泥棒は雨戸を開けて逃げたあとで、先生も慌てゝゐたものと見えて、二包みの荷物をつくつてゐたが、それを忘れて行つた。刑事の話では四五日住んでゐたらしいと云ふことで、僕の蒙つた全被害よりも高価な煙草ケースを忘れて行つた。
 盗む物の有る筈のない僕の庵をねらふとは御苦労な泥棒があるもので、泥棒に会はせる顔がなかつた。この庵は元来僕が借りたときから硝子《ガラス》窓が四方に開け放してあつて
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