、かういふことは実に退屈だ! 僕は失礼します」
のみならず、間髪も入れずに形だけの点頭《おじぎ》をすると、私はさつさと歩きだしてゐた。まあ、あの時の怖ろしい自責後悔、それを思つてもみて下さい。私はあの苦渋にみちた自責だけは今もなほ歴々と思ひ出すことができる。けれども歩き出した私の足は私の力ではもはやどうにもならないのだつた。何といふ悲しいことだつたらう。そして突嗟に泛かびあがつたあの途方もない決意は一体誰の決意なのかとても私には理解できない。思ふに私は別れのうらぶれた挨拶や奇妙に切迫した感傷や目当を失つた当惑なぞの惨めさを思ひ出して、どうしても敢てする勇気を失つたのであらう。全くさう考へてみれば私の悲鳴は正直な本音であつて、別れの奇妙に切迫した当惑なぞこそあの頃の私にとつて最も退屈なことであつたに相違ない。けれども私が悪かつた。
私は太郎さんの気持はよく分る気がする。けれども其れを説明することはできない。全ては悪夢のやうなものだ。私は歩き去る私の背後に太郎さんのうわずつた甲高い声をきいた。
「ぢや、僕もここで失礼します。御達者に暮して下さい」
つづいて私の背中に太郎さんの慌ただしい靴音が起り、私の横へまで走つてきて私と並んで歩き出したのが分つた。呼吸《いき》の音まできこえてゐた。私達は一言も物を言はずに改札口の外へ出た。うららかに晴れ渡つた昼下りであつた。
明るい蒼空の下へでると、私は始めて太郎さんの方を見た。
「どこへ散歩に行かうかね?」
この最初の言葉をかけたとき、ちらと私の方を見た太郎さんの表情を、ああ私は一生涯忘れることができないのだ。それはあどけない童子が切に母親に哀願するもののやうな、切ない祈りを含めた激しい表情であつた。
その後、私は色々の場合に、色々な善良な人々の極めて善良なそして美くしい表情を限りなく見てきた。それは私に愉しい生き甲斐を感じさせるのであつた。けれども私はいつも私に斯う言ひきかせた。
――いや/\、この表情も美しいが、あの時の太郎さんの表情ほど善良そのものではないやうだて……
底本:「坂口安吾全集 01」筑摩書房
1999(平成11)年5月20日初版第1刷発行
底本の親本:「若草 第一〇巻第六号」
1934(昭和9)年6月1日発行
初出:「若草 第一〇巻第六号」
1934(昭和9)年6月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:noriko saito
2009年4月19日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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