。向ふぢや死んだつもりにウッチャらかしだらう」
 三人そろつて外へでゝ夕風に当ると、
「オイ、オレは今すぐ基地へ帰る」
 安川は焦燥にイライラしてゐた。
「勝手に帰つちや、ぐあいの悪いことになるだらうぜ」
「どうせ、負け戦だ。咎《とが》められたら、基地へ問ひ合しても返事がないから、隊長が単独行動を許したと言や、すむだらう。後々のことはもう問題ぢやないんだ。オレは是が非でも帰る」
 思ひたつと、つのる焦燥、不安を押へる術《すべ》がなかつた。私イケニヘぢやないわ、あなたを愛してゐた、といふトキ子の言葉が徒らに安川の胎内を駈けめぐつてゐる。その言葉をたしかめなければならない。
 イノチがあつた、これからもある、するとまるでガラリと問題が変つてしまふ。まつたく別人の誕生だつた。然し、そんなことに呆れてゐるヒマはない。村山は行動力のある奴だから、情勢の変化と同時に行動を起してゐるに相違ない。
 安川はもう二人の返事をきかず、ふりむいて飛行場へ歩きこむ気勢であるから、
「よし、オレも一しよに行く」
 妙信が覚悟をきめる。
 急に三人ひとかたまりになつて駈けだす、すると安川のみならずあとの二人も無我夢中であつた。人生が変るのだ。どう変るか、何が変るか、当もない期待と興奮、解放された何かゞ、たゞ気の狂つた動物みたいに全身を逆流してゐる。
 生きてゐた。これからも、生きる。これからは自分が生きて、自分が何かをつかむのだ。走れ走れ。もう兵隊も軍律も土足にかけろ。出発。
 然し、京二郎は、わけの分らない不安があつた。いつたい、自分なんか、本当にあるのだらうか。何物だらうか。これから先々、途方にくれるやうな陰鬱な疲れを感じた。そのくせ、やつぱり胸は何かでふくらみ、張つてゐる。解放されたイノチ! 疲労に目がまはるが、走る足をゆるめる気持にもならない。

          ★

 それから数日、ごつたがへしてゐた基地もあらかた引きあげて後始末の者だけ残り、例のトキ子同盟五名のうち三名は去り、残る者は安川と村山二人、浅草の実家のお寺が焼けて一家不明だといふ妙信とこれも故郷に希望のない京二郎が一しよに残つて、一応部屋のたくさんあいてる星野家へ下宿することになつた。
 ところが村山は安川らが基地をとびたつと、もう我慢ができなくなつた。安川の奴がいつぺん処女を奪つたものなら、トキ子の純潔はもう問題ではない。五人の約束もトキ子を処女としての約束で、いちどケチがついたものならあとは同じこと、早いが勝だと理窟をつけて、さつそく直談判、強要して成功した。
 さういふ関係になつてゐたから、はからざる終戦、母とトキ子は二人の男の膝づめ談判に困却して、なすところが分らない。
 困つたことには、母とトキ子と胸の思ひが違つてゐた。
 トキ子はすでに兄が戦死し一人娘であるから、聟とりといふことになるが、村山は資産家の三男坊で、私大の経済科を卒業してをり、すでに一人前の紳士であるが、安川は医者の三男坊で、絵カキの卵、また二十二の若年で、このさきどんな人間に成長するか、今のところは見当がつかない。
 差当り誰の目にも村山は旧家の主人に申分ない条件を具へてゐるから、母は村山を内々聟にと思つてゐる。
 トキ子は安川が好きだつた。
 二人は胸の思ひを表はさないが、それとなく分ることだから、安川は当のトキ子に一任しようと云ひ、村山は日本の習慣通り親の意志に従ふべきだ、とこれもケリがつかない。母と娘は胸の思ひをあらはすとモツレルばかりだから、安川には安川の気のすむやうに、村山にも同じこと、なるべく当りさわりなく、両方のキゲンをとるから、益々こぢれ、もつれるばかりである。
「当然死ぬ筈の人間、それを前提として出来たツナガリに、死ぬ運命が変つて起つたモンチャクだから、昔のツナガリを土台にしては解決ができない。君がトキ子さんと最初の関係をもつたとか、僕がそれからどうしたとか、かういふ特攻隊員のツナガリは御破産にしよう。僕らは新らたに、全く終戦後別個に現れた求婚者として、正式に争ふべきではないか。我々は直談判をやめて、日本の習慣に従つて、両親の許しを受け、親なり仲介者の手によつて、家と家の交渉、正式に手順をつくして求婚して、正式の返答を貰はふぢやないか」
 かう言ひだしたのは村山で、この提案の計画をたてると、彼はいちはやく、両親に依頼の手紙を発した形跡があつた。この提案は母と娘と四人同座の席でだされ、正式の交渉、もとより女たちはそれを望むのが当然、三対一、反対してもムダだから安川も同意した。然し、安川の親の医院は焼失し、両親がどんな暮しをしてゐるやら手紙ぐらゐで納得するやら、二十二の特攻小僧の嫁ばなし、相手にもしてくれない不安ばかりで、たよりない話だけれども、ひくわけに行かない。
 すると村山は、さう
前へ 次へ
全8ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング