ったけれども、時々大安吾になるのは、治らない。モミヂ宿泊中とてもそうで、フッと大安吾になったが最後、風となってどこへ消えたか、誰にも分らない。私自身も翌日目がさめるまでは、どこにいるのか分らぬのである。というのは、モミヂを出発する時から前後不覚に泥酔しているからである。サンダルを突ッかけて、ちょッと買い物の途中から、気が変って行方不明になることもある。
 さてその日はユカタに下駄ばきでいずれへか立ち去った。人の話をしているようだが、どうもこの時は仕方がない。ふだんはそんなに酔うことがないのだが、この日は日中から来客があって泥酔したのである。こういうこともあろうというので、新聞社、雑誌社、モミヂ旅館、いずれも要心おこたりなく、上京宿泊中は誰にも知らせず、どこにも分らぬように仕掛けが施してあるのだが、この時は原稿に一段落してちょッとヒマがあったから、折からの来客と共に酔いつぶれたのだろう。
 翌朝、目をさましたところは九段である。その待合の女将は今は故人になった落語家の雷門助六の奥さん。角力《すもう》のように背が高くてデップリふとっていて、大酒のみで、ジメジメしたところのない人物である。人
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