から、礼儀も慎みもありやしないわよ。この子が恥をさらしてギセイで稼いでゐるものを、踏みつけてるぢやありませんか。この子はあなた、かほどの思ひをして、チップを貰ふためしもないのだからさ」
「さうさう。それだよ、オバサン。あなたはヨッちやんを因果物に仕立てる気分だから、いけない。お代は見てのお帰り、親の因果が子に報いてえアレだね、ヨッちやんを見世物にして露骨に稼がうてえ気分を見せちやア、お客は気を悪くします。いくらか置いてきなさいな、この子が可哀さうだわよ、そんなことをいつたんぢやア、これはもう全く因果物で救ひがない。お酒は粋でなきやいけないから、刺戟の強いサービスほど何食はぬ気分が大切なんだな。お店の成績が上りや最上先生からそれに応じて心附けがあるのだから、ヨッちやんのギセイを軽いオペレットに仕立てる心得がなきやいけません。しかしオバサンとしちや見るに忍びざる悲しさ、また口惜しさ、勢ひサイソクがましくもなるだらうからな、よく分る、ムリもないです。だからオバサンはお店へでちやいけない。玉川関のかはりにお勝手をやりなさい。いゝかね、オバサン、ヨッちやんのあの芸は、あれでチップをとらないところに値打がある、さすればヨッちやんも救はれる、養命保身、これでなきやいけませんや」
お店の第一線で働いてみると、自分の方は案外ミイリがないから、玉川関一味のやり方にはフンマンやるかたなく、利益を独専したい気持がうごいてゐる。これを見抜いたから、仕事は楽だと見極めをつけた。
グロテスクがグロテスクだけで終始したんぢや魅力にならない。切なさ、明るさ、軽さ、どことなく爽やかなものを残さなくてはならぬもので、第一次大戦後の欧洲の前衛芸術は悲しいグロテスク、明るい軽妙なグロテスクがその主要な相貌であつた。これが近代知性の生活感覚の中軸的相貌でもある。ヨッちやんの芸は前衛芸術の宿命に通じるものがあるから演出次第でピカソやコクトオの芸術的放射能を現実的に発散できる珍品なんだと倉田は高く評価したが、ヨッちやん一つぢやグロテスクも悲痛すぎて暗すぎるから、もう一つピエロ的グロテスクのワキ役が必要だ。
倉田が目をつけたのは行きつけの飲み屋に食客をしてゐるソメちやんといふ色若衆で、昔は歌舞伎の女形であつたが戦争中は徴用されて工場へつとめ終戦後舞台へもどつたが生活が立たないので、近頃では飲み屋の手伝ひをやりながら、昔のゴヒイキ筋から品物をうけて飲み屋へくるヤミ屋にさばいたり、ヤミ屋の品物をゴヒイキ筋へさばいたり、それでくらしを立てゝゐる。しかし決して多額にむさぼらないのがえらいところで、千円ぐらゐでうけてきた品物が一万五千円ぐらゐに思ひがけない上値で買ひ手があると、三百円とか五百円とか予定してゐた口銭以外はそつくり売り手へ届けてかねての恩儀に報いるといふ心掛けである。ハタから笑はれ、そゝのかされても、いゝえ、義理人情をわきまへなくてはいけません、と言ふ。信念ミヂンもゆるぎがない。
そのくせ完全な変態で、自分は全く女のつもり、二十三のみづみづしい若衆だから娘の注目をひくけれども、女などは見向きもしない。倉田はかねてソメちやんのキップが好きでヒイキにしてゐるが、ソメちやんもまた、倉田の生き方に筋の通つたところがあるから尊敬してゐる。これに手助けを頼みたいと思つたが、何がさて歌舞伎育ちの粋好み、義理人情に生きぬいてゐる珍品だから、御開帳の露出趣味と相容れず軽蔑するにきまつてゐる。こゝを納得させなければ苦心の演出ゼロになるから、
「これはソメちやん、江戸前の好みによつて悪趣味下品なるものと即断しちやいけません。あるべきところに毛がないてえのを悩みぬいたあげくにイレズミをしてさらに悲歎を深め、わが運命を無限の失恋とみる、悶々の嘆きが凝つて酔へば前をまくつてタンカをきる、この胸の中はせつないね。この悲しさは江戸の通人によつてむしろ大いに尊重せらるべき性質のものだらう。それはあなた田舎ザムライはヨダレをたらしていい見世物にするだらうけど、通人はこの切なさは買ひますよ。酔つ払ひといふものは、いつの世も田舎ザムライそのものなんだから、お客がこれを見世物とみる、その低さを、自分のものと見ちやいけないです。ソメちやんなどもまことに心の悲しい人なんだから、悲しさを血のつながりに、姉妹とみる、いたはりがなきやいけない。お客がこれを見世物と見るなら、その観賞気分が露骨なエログロ低級下品に終らぬやうに、軽妙な気分をつくつてやる。イレズミは構図も彩色も着想も見事な妙味があるのだから、物自体としちや最もユニックな見世物なんで、単にエロ、下品、露骨と見せちやいけないやね。お客の気分を軽妙にとゝのへて下品ならざる境地をつくる、余人ぢやできない、ソメちやんの気品と粋、同情と協力が最も必要な次第ぢやないか」
ソメちやんも承諾したから、ソメちやんとヨッちやん母子を住みこませ、玉川関に退場して貰ふ。万端最上清人の命令でなく、倉田支配人の指図によつて、これより万事店のことは新任の支配人が執り行ふから旧来の仕来りは一新する、店内の作法は支配人の許可なくして何事も行ふことはできない、天妙大神のゴセンタクも支配人にはミミズのタハゴトにすぎないのだから、と申渡す。
同時に最上とお衣ちやんは温泉へ出発させ、二三週間ホトボリをさましてこさせる。そのうちにはオバサンを手なづけて、これを逆用して天妙大神とお衣ちやんの防壁にしようといふ、そのためにはヨッちやんと懇ろになることも辞せないといふぐらゐ倉田は悲壮な覚悟をかためてハリキッてゐる。
倉田は温泉行の最上と別杯をあげて激励して、
「だから最上先生、安心してお湯につかつてきなさい。私の覚悟はいさゝか悲壮なぐらゐこの仕上げに打ちこんでるのだから。考へてもごらんなさい。それは私は色好みだから、ヨッちやんみたいな化け物でも一晩ぐらゐは面白からうといふ程度の心ざしはあります。しかしあなた、私の現在の立場ぢやアこれを一晩であしらふ手だてがむづかしい、九分九厘後腐れ、四谷怪談になりかねないところだから、こゝはつらいところだな。そこを敢て辞せないといふ覚悟のほどを可憐と見ていたゞかなきや。私はつまり天来の退屈男なのだから、生活を芸術と見る、ひとつは芸術の才能に恵まれないせゐだけれども、しかしあなた、生活を芸術と見る、全体の構図のためには貧乏クジは作者自身がひかなきやならない、これがツライところで、しかしまたそのギセイにおいて一つの構図を完成する、この喜び、この没入、この満足、これは私の生来のものです。だから私は厭ぢやない。むしろ大いにハリキッてゐます。しかしあなた四谷怪談は当事者の身になつちやアこれは全くつらいからな。その甚大の苦痛をおして一篇を完成するところに、おのづから報われる満足を人生の友としてゐるのだから、人生芸術家倉田博文先生、この手腕を信じて、心安らかに旅行を味ひ、未来に希望を托しなさい」
そこで御両名は出発する。
倉田は自ら調理場に立ちチビリチビリ傾けながらも大根をおろし牛肉をあぶり吸物の味をきゝオバサンと共に大奮闘、策戦よろしく店は繁昌するけれども、ソメちやんの気品と粋は効果を示さず、あべこべに下品を深め、地獄の相を呈する。それといふのが、ヨッちやんの芸が終ると、勢ひの赴くところ、ソメちやんに露出を強要する。歌舞伎の伝統の中で女の躾を身につけたソメちやんだから二の腕を見せてもすくみ羞らふサムライの娘カタギ、それが一そう酔客のイタヅラ心をそゝつて、はては掴へてハダカにする。悲鳴、悲嘆、それを肴にカッサイ、また乾杯、勢ひの赴くところ、次にはヨッちやんをハダカにする、こつちの方は物ともせずタンカをきつて卓の上に大あぐらをかいたり大の字に寝てしまつたり、お客がこれにタバコをさしたり徳利を入れたりイタヅラする、お客同志のケンカとなる、大乱闘、倉田先生、器物を保護し、お勘定をいたゞくに精魂つくし、二ツ三ツ御相伴のゲンコなどもチョウダイに及んで、芸術的才腕の余地などはない。
これが毎晩のおきまり行事で、それを目当に集る常連だから、ヨッちやんの芸が終る、そのへんで気分が変るやうにと倉田が顔をだして得意の駄弁、ナニワ節、フラダンス、熱演効なく、ひつこめ、あいつもついでにハダカにしちまへとくるから、匙を投げて長大息、お客の身になつたら面白からう、オレもお客になりていなどゝ芸術製作の熱意を失つてしまつた。
「先生、私はとてもこのお店はつとまりません」
と、ソメちやんは元の巣へひきあげる。
倉田はヤケクソで、新風を凝らし、新作にとりかゝる気持などはミヂンも持てない。ヤケ酒をきこしめして、これだけはと日頃要心してゐたものを、ヨッちやんや、お前さんは可愛いゝ人だ、からだから心から全体が悲しさそのものなんだな、悲しさを抱きしめて私も一緒に溶けて掻き消えてしまひてえ、などゝセンチになつて、お世辞たらたら喜ばせて契りを結んでしまつた。荒《すさ》んでゐても、遊女と違つて、悲しみの玉、初心の熱情、むしろ何物にもまして必死なものがあるから、三夜又五夜、倉田が興ざめたころはヨッちやんは夢中で、客席で芸を御披露しなくなり、酔客の所望をせゝら笑つて、
「ナニいつてやんだい。私にはいゝ人があるんだよ。私は可愛がられてゐるんだからね。私のからだはウチの人のものなんだから、もうダメだい。とつとゝ帰つておくれ。水をぶつかけるよ」
お客が全然なくなつてしまつた。
女の心は可憐だけれども、無益なセンチはつゝしむところ、最上清人が帰京する、事情を伝へてサヨナラと一言、風に乗つて姿をくらます。オバサンとヨッちやんは鬼になる。お衣ちやんは教会へ戻つてしまふ。
「私たち親子は倉田の悪党めの指金で教会に不義理を重ねたから帰るところがないんですよ。旦那すみませんけど、泊まらせておいて下さい」
「倉田のしたことなんか知らないよ。とつとゝ出て行け」
「ぢや警察の旦那の前で黒白をたゞしてもらひませうよ。私や損害をバイショウしてくれなきや、殺されてもこゝを動きやしないからね」
そんなわけで、最上先生、ずるずるべつたり親子の妖怪変化と同居を重ねざるを得なくなつてしまつた。
夜の王様
全国的には七・五料飲休業、東京だけが六・一自粛、一足先に飲ン平は上ッタリになつてしまつた。ところが、こゝに、唯一人、ほくそゑんでゐるのが最上清人先生で、どうせ死ぬんだ、どうにとなりやがれ、ゆくゆく首をくゝる計画だから、右往左往の業者ども、禁令をどこ吹く風、お店の有り酒を傾けてゐると、絶えて客足のなかつたタヌキ屋に六・一自粛の当日から俄に客の往来がはげしくなつたから、物に動じない大先生も、果報は寝て待てと昔から言ふけれども、ハテナ、夢に見た蝶々がオレだか、今のオレが夢だか分るもんかといふ荘周先生の説はこゝのところかも知れないとボンヤリ疑つた始末であつた。
東京の飲ン平どもは専らマーケットといふところでカストリのゴヤッカイになつてゐる。マーケットは青空市場のなれの果だから、板によつて青空を仕切つて人間共に位置を与へる。何百といふ馬小屋が並び、こゝへ一匹づゝ馬を飼ふのかと思ふと、十人ぐらゐづゝ人間を並ばせてカストリを飲ませる。馬なら一匹だけれども、人間なら十人つめて、この節の酔つ払ひは衰弱消耗して、羽目板を蹴とばす奴もゐないから、小屋もいたまない。当節は百円札が単位だよ、靴の裏皮を張り変へたつて四百五十円、カストリ一杯三十五円ぢやねえか、おまけにノンダクレの勝手のオダにつきあつて、これはあんた商売ぢやアない、社交奉仕だよ、クソ面白くもねえ。馬小屋の旦那は厭世思想家でニイチェなどゝいふ人と同じぐらゐ大胆卒直に思想を吐露するから、お客は益々衰弱する。ところへ六・一自粛、馬小屋には裏座敷がないから、厭世財閥の旦那方が真剣に慌てた。
財閥の旦那が慌てるのは、持てる者は不幸なるかな、旦那方が慌てなかつたらラクダが針の目をくゞる、予言の書物にあることだから、これは筋が通つてゐる。わけの分らないのは馬小屋に十人づゝ並んでゐた連中で、この連
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