ガクガクずらりと並んだあちら側を、首だけだしたオバサンがお盆を目の高さに捧げ持つてナメクヂの速度で往復してゐる。オバサン早く早くと云つたところで、生涯の失敗身にしみて焦らず、大きな目を最大限にむきだし全精神を目の玉に集中、剣客の真剣勝負のやうにジリジリにぢり進む。低速のおかげで往復に寧日《ねいじつ》なく、呼べば「ヘーイ」と調子の外れた大声で返事はするが目じろぎもせず必死の構へは崩れをみせず、真剣敢闘、汗は流れ、呼吸は荒れ、たまに勝負の手があくと汗をふきふき誰彼と腹蔵なく談論風発、隠し芸まであつて「浜辺の歌」だの「小さな喫茶店」などゝいふセンチな甘い歌が大好きで声もよい。大好評で、ナメクヂ旅行、必死必殺真剣の気合、談論風発、シャンソン、どれ一つとりあげても好ましからぬところがないが、特別なのが必死必殺ジリジリ進む最中に注文を受け「ヘーイ」と答へる気合の一声、剣の極意に達し、涼風をはらみ、まことに俗物どもの心にしみるものがあつて、これをきゝたいばかりに余分の一パイ注文したくなる。
 倉田博文先生も大感服、もう師匠だなどゝとてもお高くとまつてをられぬ。
「見上げたもんぢやないか。これは君、一
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