えなア」
 そこへ富子が瀬戸と並んでやつてきた。昔の宿六を見て、アラ珍しい人が来てるわネエ今晩は、と言つたが、富子がこの店へ瀬戸と並んで毎晩くるのは、実は昔の宿六に、二人お揃ひのところを見せつけてやりたいからだ。
 けれども近頃、富子は再び貧乏が身にしみてゐる。十万円握つて瀬戸のところへ駈けつけたまではよかつたが、宿六が追ひかけてきて取り戻されては大変と、温泉へ瀬戸を誘つて豪遊したから忽ちにして文無しとなり、伴稼ぎを始めたが、瀬戸の飲み代で青息吐息、ちつとも面白くない。一緒に飲みにくるのは、昔の宿六に見せつけたい魂胆の外に、三杯ぐらゐで切上げて帰らせるためだが、すると美学者は途中で富子をまいたり、引ずつたり引ずられたり、なぐつたり、なぐられたり、もう一軒、もう一杯と立ち寄つて、とゞのつまり家へ戻ると、ひねもす喧嘩に日を暮してゐるなどゝは、誰も知らないだけの話なのである。富子は肚の中では、どうしてかう宿六運が悪いのだらう、今度はあの絹川といふ色男のところへ押かけてみようか、いつそ社長のハゲアタマの二号に押しかけてみようか、色々と考へてゐる。
 最上清人はポケットから手帳をだして調べてゐたが、顔をあげると瀬戸の方に向つて、
「君の借金がまだ九百六十五円あるから、今日いたゞかう」
「どうも、すみませんでした。今日は実は持ち合せが不足なんで」
「ぢや、外套をぬぎなさい」
「さうですか、ぢやア」
 瀬戸が立上つて外套をぬいだ。
 そのとき私がこの飲み屋に居合せたのである。私は見たまゝ逐一を書く必要はないだらう。馬鹿げてゐるのだ。大づかみに結末だけおつたへしておかう。
「これで千円借して下さい」
 と言つて、瀬戸がオコウちやんに外套を差出した。この外套は彼の満洲生活の記念品だから品物は立派で、千円のカタにはなるからオコウちやんは千円貸した。
 最上清人は千円をポケットへねぢこんで、三十五円のおつりをおいて、そのまゝブラブラと、ポケットへ両手をつッこんで、ゐなくなつてしまつた。倉田が何か言つたが、彼は返事をしなかつた。
 瀬戸が帰るとき、外套をぬぐと寒いな、すると富子が大声で、寒むさうねえ、可哀さうねえ、と云つたが、オコウちやんは一心不乱にオツリを数へてそれをハイ、アリガトウと差出したばかり、瀬戸はクスリと笑つて、ぢやア、又と二人は外へ消え去る。
 要するに私が見たといふのは、た
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