されかけたこともあったが、これくらい何も知らずに働きにきてくれる子は、かえっていじらしく、かわいいものだ。わが家にいるうちに一人前のオヨメになれるだけのことをしてやりたいという責任を感じるものである。
この子たちが都会の子供なみに知っていたのは流行歌である。ラジオのせいだ。どんな歌でも、むしろ都会の子以上に知っている。ラジオのほかに何もないせいだろう。先日も冗談音楽の主題歌をうたっているのをふと聞いたが、なるほどワンマン政府がラジオを気に病むのは自然だなと思ったのである。
デフレを活用した男
私の家から百メートルもないところで珍しい事件が起った。Sという買継商が倒産してつるし上げにあったのである。買継商というのは町のメーカーから織物を仕入れて全国の小売業者に卸す店のことである。Sは戦後の新興業者で商運は好調だった。好調なら倒産はしないはずだが、好調倒産という変ったこともありうることがわかったのである。
Sはさらに一大躍進をねらって計画的に倒産した。折しもデフレの声に、これぞ天の与え、倒産の機会と実行にかかり、この春から着々財産隠匿につとめ、ついに家財道具まで運び去り家族も疎開させたそうだ。こうしておいて五月ごろから不渡手形を乱発しておいて夏の終りに当人も行方をくらましたのである。
不渡手形をつかまされた業者は約百人、一人四、五万から五十万まで、合計千二百万円であったが、Sは小さな個人商店だからそこへ製品をおさめていた被害者も家庭工業的な小さなメーカーが主であった。
デフレだ不景気だという時節には倒産や休業の続出するのが機屋町の例で、中には計画的なのもよくある例だそうだが、それは多くの従業員をかかえて営業をつづけるよりも休業する方が損害が少ないというような場合で、Sのように計画的なのは珍しいそうだ。デフレを利用した犯罪である。被害者にしてみれば「デフレをも活用したか」とかか(呵々)大笑するわけにいかないのは当然で、そこで次のようないっそう珍しい事件が起ったのである。
被害者は告訴しないことを申合わせ、順に数名ずつの当番をSの店に泊まりこませて帰宅を待った。Sはある日の深夜二時にフラリ、店へ姿を現わした。それを捕えた当番の知らせで深夜というのに被害者が参集、隠匿財産を白状しろとつるし上げがはじまったのだ。
夜が明けるとヤジ馬が店の前に雲集したが、被害者が百人だから店内がまた立入りの余地もない。つるし上げる者、ソロバンをはじく者、毛布にくるまって眠る者、炊きだしの者、ごったがえしている。その日も夜を徹してつるし上げた。つるし上げる方は交代で存分に眠っているが、つるし上げられる方は眠らせてもらえない。しかしデフレを活用するほどの人物だからよく応戦したようである。これこれの銀行へこれこれの名義でいくらいくら預金したと渋々白状に及んだのが、はじめのうちはみんなデタラメだったそうである。
「桐生一の悪党はこんな顔の男だ」
と時々ヤジ馬の中へ突きとばし往来でも尋問したが、S君にとっては何より寝せてもらえないのがこたえたらしい。そしてとうとう七、八百万がとこ隠匿財産を白状したが、翌朝病気だから医者へ行かせてくれと監視人につきそわれて外出、警察へ駆けこんで保護をもとめた。その後、この事件はつるし上げ側の行過ぎ、人権侵害という問題に発展した。
つるし上げはたしかに行過ぎだがここに私が一つ納得できないことがある。それは彼らが告訴をしない申合せをしなければならなかった同情すべき事実についてである。告訴すれば不渡手形発行の罪によって懲役一年たらずの罪人を製造するが、かたられた金は戻ってこないからである。S君は告訴されることを期待していた模様であった。そしてちょっと服役することによってまんまとデフレを活用しうる予算であったらしい。しかるにシシフンジンのつるし上げにかゝり七、八百万がとこ白状せざるを得なくなってしまった。もしも法律というものがS君の隠匿財産をあばいて被害者に返してやることができるなら人権侵害もあるだろうが、単に罪人をつくるだけで実利は罪人に属すというのでは、悪人栄え、正直者は泣き寝入りの一途ではないか。法律自身のぬけ道や不備や無力さをまず猛省すべきであろう。
私にこの事件の裏話をいろいろ語ってきかせた消息通は、突然言葉をかえて私にこんなことを言った。
「キミはこの町の人々がどんなことを望んでいるか知っているかね」
「知らないね」
「まず百人のうち九十人までは夕食後のひとときを自宅の茶の間でテレビをたのしむような生活がしたいと望んでいるのだよ。ところがテレビは二十万円もして手が出ないから、ビールかコーヒーをのんで喫茶店のテレビでまにあわせたいが、その金も不足がちだ。そこでテレビの時間になると子供遊園地が大人で押すな押すなだよ。無料のテレビがあるからさ」
ちまたの消息通だけあって、うまいことをいう。これは桐生に限らないだろう。日本人の多くの人々がせめて自宅の茶の間でテレビをたのしむ生活がしたいと考えているに相違ない。しかし思えば文明も進んだ。自宅に好むがままの芸人や競技士をよんで楽しむことができたのは王侯だけであったが、いまやスイッチをひねるだけで王侯の楽しみができる。天下の王侯も今ではたった二十万円かといいたいが、あいにく拙者もまだ王侯の域に達していないのである。
「数年のうちにすべての家庭にテレビを」
と約束してくれるような大政治家が現われてくれないものかと思う。民衆の生活水準を高めることを政治家の最上の責務と感じる人の出現ほど日本に縁のなかったものはない。
しかしフハイダラクの底をついた現代はかかる大政治家を生み育てる温床ともなりうる時代なのである。歴史がそう語っている。しかし日本だけはフハイダラクのしっ放しの感なきにしもあらずか。
スコア屋でないゴルフ
足利市に東京繊維という工場がある。その庭では野球やサッカーと一緒にゴルフもやれるようになっている。といったところで、もともと工場の庭にすぎないのだから、全部で高校の運動場ぐらいの広さしかない。そこへ百五十ヤードを筆頭に、百ヤード前後のコースを六つもつくっているのだ。それでもアプローチという近距離の打ち方やバンカーという障害物からの打つけいこはできるから、私も仲間にいれてもらった。この会費は月に二百円である。
三時のポーが鳴ると工員たちが手に手にゴルフの棒を三本ないし一本握ってかけつける。三、四名ずつそれぞれの芝生をとりまいて、近距離打と芝生の穴へタマをころがしこむ練習をはじめる。全力でかっとばすには先生についてフォームを習う必要があるが、このコースではその必要がない。なまじ私などがかっとばすと障害に落ちる率が多いのだ。彼らははじめからころがす。どうころがしても次には近距離打になり、その方が障害に落すことも少ないのである。タマをころがすのや、近距離打や、芝生の穴へ落すのは自我流でできる。練習量だけで結構いけるものである。だから、このコースでやる限り、彼らのうまさはすばらしい。プロも勝てないのである。なぜならプロは障害へ落すが彼らは二度ころがして三度目にたいがい穴へ落すことができるからである。それは完全にゴルフというオハジキである。しかし彼らは結構ゴルフをたのしんでいる。
「チェッ! ソケットしたか!」
とか
「チェッ! トップした!」
などとゴルファーらしい英語をしゃべることも心得ているが、タマをころがすのにソケットもトップもありゃしない。見物している方もとてもたのしいのである。工員ゴルフ大会というのも時々あるらしく彼らの練習は熱心である。
ここではキャデー(ゴルフの棒をかついでくれる少年)が一時間十円である。私がここの会員になったとき、世話役の人から
「子供にお金をよけいやって値段をつりあげないように」
と厳重な訓令をうけた。しかし私はお金をよけいやるどころか、なるべくキャデーを使わないことにしている。なぜなら棒は三、四本ですむのだし、子供たちは十円のアルバイトに情熱をいれていないから、タマの行方なぞ見ていない。彼らをあてにしているとタマが行方不明になる率が多いのだ。タマは五百円もするのだから、これほど割に合わないことはない。そのうえ
「夕刊配達の時間だよオー」
と母親が門の外から声をかけると、子供は棒を投げすてて走り去るので、ここでキャデーを使うのはむしろ悪趣味にすぎないのである。
工員ゴルフと別に、足利ゴルフ会というだんなの会もここにあって、だんなはだんなで時々ゴルフ大会をやる。中には正式のレッスンをうけた正しいゴルファーもいるけれども、大会にでてくる人々の多くはここでたたきあげただんなであるから、ものすごい。
「ワー、タマが上へあがったね」
とほめられているだんなもいる。もちろんゴルフのエチケットなぞここでは無意味なばかりか、スコアの勘定も無意味である。なんべんカラ振りしても、そんなのは勘定にいれないし、打った数も一コースにつき二つ三つごまかすのは商業上の道徳と同じように公然と行われているのである。だから田舎のだんなゴルフ大会にはでるものではない。腹が立つばかりである。しかし、大会にさえでなければ腹の立つこともなく、工員ゴルフもだんなゴルフも味わい豊かでよろしいものだ。私のゴルフはへたで有名な方であるが、ここでだけは
「さすがに習ったゴルフだね」
とほめられることが多い。
桐生における私のゴルフの相棒は書上左衛門という私の家主に当る人である。自宅の裏庭にインドアの練習場をつくって二十数年もゴルフ一つに凝りに凝っている人だ。私はこの人の手ほどきでゴルフをはじめた。私の相棒としてはまことに好適で、世にこれほど風変りで裕然たるゴルファーはめったにいないと思われる。
この人はゴルフをはじめて二十数年、ああでもない、こうでもないと、フォームの研究だけに日夜心をこめている。したがって、ほぼ一週間ごとにフォームがガラリと一変する。いかほどプロについても独自の研究に怠ることがなさすぎるから、一週間ごとにガラリとフォームが一変することは変りがないのである。この人にとっては少ないスコアでコースをまわることは問題ではない。ただ最初の大振りでタマが遠くへとべばうれしいのである。
「ゴルフの快味はドライバーショットです」
と確信をもって断言し、制規のコースへ行っても、キャデーにタマをひろわせてドライバーショットだけ半日でも一日でもあきずにやっているのである。私がさそえば一緒にコースをまわりもするが他の人の多くに対しては
「あの人のゴルフはスコア屋だから」
ときらって一緒にまわりたがらない。つまり私のゴルフはスコア屋でないと彼が認めてくれたわけだ。したがって彼と私は力いっぱいクラブをふって、彼は左、私は右のヤブへ主としてタマをとばし、別れ別れにヤブからヤブを歩いてコースを一周する習慣だ。
先日読売の文壇ゴルフ大会で、主催者が小生をあわれんで宮本留吉大先生をつけて一緒に川奈コースをまわらせてくれた。
「そんなに力いっぱいふる人がありますか」
と私のスコア屋ならざる猛ゴルフは日本一の大先生にさんざんしかられたのである。実際においてスコア屋でないゴルフはありえないのだ。そこで心を入れかえて留さんに入門することになったのである。
新しい雪国の誕生
戦後今年になって秋と冬ちょっとの間をおいて二度新潟へ行った。冬の旅にでる前に、ある雑誌へ雪国の冬の暗さについて随筆を書いた。秋のなかばから冬の終るまで太陽を見ることのできない雪国では小学校の子供たちまであきらめきった考え方や話し方をするようになるものだと書いたのである。それを速達で送って旅行に出発したが車中で落ちあった同行の友人に
「この清水トンネルをこえたとたんにガラリと天候が一変しているのだよ。トンネルの向こう側にはもう太陽がないのだ。暗いたれこめた空、窓をたたくみぞれ、来る日も来る日も清水トンネルの向こう側は一冬中そうなんだよ。うそのように思えるけど、
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