しさが感じられないのだ。
ヘプバーンのようなのッけからのあどけなさ無邪気さには安定感がない。いつくずれるか分らない危ッかしさがつきまとっている。それは少女歌劇のファンそのものにつきまとっている危ッかしさでもある。
マリリン・モンローは大人に無邪気な安らぎを与えてくれる女性美で、そしてそこに性欲は感じられないのである。たとえ彼女自身の正体がどうあろうとも。
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私の家の裏に小学校がある。そこに特殊児童の特別教室がある。つまり知能が低くて学問のできない子供たちの教室だ。彼らには運動場はいらない。なぜならスポーツをする能力もないからだ。悪事をする能力もない。ただ無邪気で、かわいい。私はその教室へ散歩に行くのが好きだが、鏡子チャン事件以来、怪しまれそうで何となく小学校の門がくぐりづらいのは情ない。
カタワの子ほどかわいいというが、その子らの親たちもかわいくて仕方がないらしく、みんなまるまるふとっているので、親の心も察せられて悲しいのである。
この教室に飾られている彼らの絵は清クンと同じ流儀の絵である。他の画風を教えてみると他の描き方もするように思うがどうだろうか。清クンの絵はアンリ・ルッソオの作風によく似ているが、ここの特殊児童のまるまるふとった風ぼう容姿がどことなくアンリ・ルッソオその人にホウフツたるオモムキがあって笑いたくなるのである。
現代の絵は五千年も昔のお墓の壁画や、なおそれ以上に白痴の作品に似ているが、現代人の美の好みも美人の好みも白痴美一辺倒的のオモムキがあるようだ。マリリン・モンローやヘプバーンへの圧倒的な人気などがそれである。白痴美だ。そして、あるいは美というものの限界もそのへんにあるのではないかと私は思った。
真善美の三位一体を人間そのものに求めると、白痴にでも突き当る以外に手がなさそうだ。真善美などと大そうなことを言ってみても、その具体的な限界は案外そのへんにしかないように思う。
しかし文学の宿題は白痴美を探すことではない。偽悪醜にモミクチャの人間をはなれるわけにいかないのである。
存在しない神社のお祭り
日本人は大体においてお祭好きである。キリストを拝んだことがなくてもクリスマスのお祝は盛大にたのしむ。何神サマでもかまわない。お祭には目がないというヤジウマぞろいである。この七月十四日に田舎の高校生がパリ祭シャンソンパーティーというのをやってフランスの革命記念日を祝っていた。お祭騒ぎをとりいれることにかけては島国根性というものが完全にない。それは私自身の性分でもある。
ところで桐生のお祭好きはまた格別のようだ。この徹底的なバカらしさは報告の値うちがあるようである。
だいたいこの市ではお盆というものをやらない。坊主がお経をよんで線香のにおいが全市をとざすようなマッコウくさい行事はこの町の性に合わないのであろう。お盆の代りに七夕をやる。織物地に七夕は当然かも知れないが、男女の星が年に一度あうという七夕は先祖の霊が年に一度もどってくるという盆に似ているし、桐生では七夕の竹飾りを川に流す。これも盆の行事に似ている。桐生が盆をやらないのは七夕で間に合わしているように思う。仏教の盆が七夕の行事に似せたのかも知れない。
とにかく迎え火だの先祖の霊がもどってくるなぞという怪談じみた行事は敬遠いたしましょうという桐生の気風はアッパレで、陰にこもったことは一切やりたがらない代りに、お祭とくると目がないのである。
七月にやるギオン祭はこの市のメーンストリート本町通りの祭礼だ。祭礼の数日間はこのメーンストリートが道路でなくて祭礼の会場となる。
一丁目から六丁目まで、各丁目ごとに道路の幅の半分を占める屋台をすえて、まためいめいのミコシをすえる神殿を造って鳥居を立てる。鳥居から神殿まではトラックが砂をはこんできて四、五間がとこ敷きつめる。道の幅半分を占領してメーンストリートにこれができるばかりでなく、各丁目それぞれ手前の都合があって、道の右側に屋台と神社をつくるもの、左側につくるもの、入り乱れていて全然道の用をなさなくなってしまう。
桐生の警察の交通整理ぐらい根気がよくてコマメなところはめったにない。人は右、車は左、これを破るとかならずお巡りさんに注意されるから、東京からくる人はかならずこれをやられて、
「桐生の町を歩くのはユダンができねえや」
とシャッポをぬぐ例になっている。これほど交通整理に熱狂的な執念をもっている桐生警察もギオン祭には歯が立たないのである。それも仕方がない。祭の期間中、メーンストリートは道路でなくて会場だからだ。昼は行列とミコシのねり歩く会場であるし、夜は芝居や音楽や踊の会場だ。自動車はおろか自転車も通れない。
おのおのの屋台でやるカブキ芝居は日没から夜明けまでつづく。道路の上は見物席で、めいめいのゴザとザブトンで昼から席を占領した人々でギッシリつまってしまう。私が夜明けに行ってみたら、役者よりも見物人の方が疲れきっていた。
今年のお祭衣装は一万三千円だったそうだ。織物はお手の物だから生地も柄もソツがない。今年のはチリメンのおそろいだそうで、朝昼晩と装束を変える例になっている。このおそろいをきているかぎり、お祭中はどこで飲んでも芸者をあげても金を払う必要はない。ツケは町会へ行くのである。織物業は目下はなはだ不振で、桐生の町はデフレの上にも不景気らしく、メーンストリートの古いデパートまでパチンコ屋に身売りという昨今であるが、警察の交通整理同様に不景気もこのお祭にだけは歯がたたないのである。
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さて、この祭の神社であるが、これが何より珍しいのである。
「桐生のギオン祭は何神社のお祭だい」
「祭礼のチョウチンにちゃんと書いてあるだろう。八坂神社のお祭だ」
ところが私がいくら探しても八坂神社というのが近所に存在しない。よってミコシのあとをつけたところが、すぐ私の家の裏の神社へ御神体を迎えに行き、祭の終りにもまたそこへ納めに行った。その神社は美和神社というのである。大国主のミコトの神社だ。八坂神社ならスサノオのミコトである。この美和神社は平安朝の神名帳にも記載のあるユイショある神社であった。そこで私はチリメンのおそろいをきているダンナにきいた。
「これは八坂神社じゃないぜ」
「八坂神社とよぶことになってるんだ」
「ちゃんと高札をたてて平安朝から名のある美和神社だと断り書きまであるじゃないか」
「社が三ツあるから一ツが八坂神社だろう」
「美和神社の隣はコンピラサマ、そのまた隣はエビスサマだ」
「うるせえな。とにかく八坂神社ともよぶんだよ。だから八坂神社だ」
このギオン祭は今から二百四、五十年前に京都のギオン祭をまねて盛大にやりだしたものらしい。祭はギオンにかぎるというので祭に目のない連中が新規ににぎにぎしくやりだしたのはよかったが、あいにく八坂神社がなかったのである。大国主のミコトはスサノオのミコトの孫だか子だか弟だかで、また物の本によると同一神の表と裏で、キゲンのよい時が大黒サマ、怒ってる時がスサノオだという説もあるから、美和神社で間に合わしちまえ、ということになったのかも知れない。神サマだの神社なぞはなんでもかまわねえ、大事なのはお祭でいゝというのが桐生のギオン祭発祥の縁起ではないかと私は結論するに至ったのである。とにかく神社がないのに底ぬけのお祭をやってるところは、ほかに類がないように思う。
山の娘たちとラジオ
夏に仕事ができなくなるのが例であったが、今年は人のすすめで大半伊香保ですごしたせいで仕事ができた。
一般に山中の温泉は山また山にかこまれた谷川沿いにあるものだが、伊香保は山の斜面にあって前面は空間のひろがりだから、はるばる空を渡って流れこむ風がさわやかだ。その代り町全体が石段の斜面だからデブの私には町の散歩が苦手だ。車で榛名湖へ行って歩くのが仕事のあとのたのしみであった。かん木ばかりのせいか、榛名は山の道も湖もきわだって明るいのが特色だ。
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仕事のあいまに家から生後一年の子供をよぶ。子供は温泉で遊ぶのが好きだ。ある日宿の水差しのフタをオモチャに遊んでいてこわしたので女中にわびると、女中が言下に「ハア、先日水差しの下の方をこわしたお客さまがありましてね、ちょうどよろしゅうございます」
と言った。あまりのことにメンくらったが、窓から吹きこむ山の冷気にもましてそう快でもあった。
こういう海からはなれた温泉地や私の住む桐生などでも今年の特色はマグロのややマシなのがフンダンにあることだ。去年など桐生ではお祭の時でもなければ本マグロが見られなかった。今年は常に本マグロがある。田舎がマグロを食う年らしい。私もガイガー計数管を信用して大いに食っているのである。伊香保では一晩だけだったが、すてきなトロにめぐりあってお代りした。
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桐生で生きている魚がたべられるのはウナギのほかには夏のアユだけだ。したがって夏の来客へのゴチソウはもっぱらアユだ。去年から桐生川にヤナができたので、ヤナから直接買うことにしたが、焼くとサンマのようにアブラが強くてモウモウと黒煙がたつ。食ってみるとほとんどアユの香がない。へんなアユだが、仕方がないので、友人には
「桐生のサンマアユというやつでね。日本一まずいところが値打なんだ。モウモウとケムがでてアユの香のしないのが珍しい」
といってすすめた。友人たちも食ってみて
「なるほど珍しいアユだ」
とおもしろがってくれた。私は考えたのである。桐生川の川底の石にはこのあたりの子供たちがチョロとよんでいる虫が無数についている。ゴカイを小さくして透明にしたような虫だ。ここのアユはそれを食ってるせいでサンマになるんじゃないかと思ったのである。伊東のアユが温泉旅館のカスで育つせいかエサをつけないと釣れないようなものだ。ところが先日漁業組合員の魚屋がきて
「桐生川のアユは日本一ですよ。これがそうですから食ってみて下さい」
「食わなくともわかってるよ。モウモウとケムがでてサンマの味がするんだろう」
「いえ、あれはね、去年はヤナがはじめての仕掛けですからちょっとの出水でしょっちゅうこわれてアユがとれなかったんです。仕方なしに前橋から養殖アユをとりよせてごまかしてたんで。サナギで育ったアユだからケムがでるのは当り前でさア」
正体がわかってみるとつまらない。チョロをくって日本一まずいアユという方がゴアイキョウのような気がした。
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お医者のYさんが女房にすすめた。女中はこの土地の娘にかぎるからとサラサラとソラで三つの中学校の所を書いて学校へ依頼状をだしなさいとすすめてくれたのである。ちょうど卒業期に当っていたのが幸運で、二つの中学からそれぞれ一名の新卒業生を世話してくれて、母親と先生がつきそってつれてきてくれたのである。先生がくりかえしいうには
「本当に何も知らないのですから、それだけはカクゴして下さい」
見るからに小さい少女たちであった。こんな小さい子供に何かやらせてよいのかと心配になったほどだ。
私もその村々は一度バスで通ったので知っていた。桐生からバスで一時間半から二時間ぐらい渡良瀬川をさかのぼったところだ。人は飛騨を山奥の国というが、飛騨だって車窓から見る山々には段々畑が見える。渡良瀬山峡の村々には完全に段々畑すら見ることができないので、この土地の人々は昔は何をたべていたろうと不思議に思った村々であった。このあたりの女中が一番長くいつくというのはさもあろうと私も思った。
電話のかけ方も知らないし、ガスのつけ方も知らない。電話のベルがなると静かに戸をあけて、一礼して
「ただいま電話が鳴っております」
と報告する。報告しなくたってベルの音はきこえるよ。ゆうゆうたる物腰、雅致があってよかったが、不便でもあった。山の中にも電灯だけはあるから、ガスも電灯なみにセンをひねるだけでよいと心得たのは当然で、殺
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