とってはもう雪国が雪国でなくなったとしか考えられない。太陽の光をもとめてイタリアへ馬車をいそがせたゲーテにはなはだしく同感したりした雪国の少年の悲しさももうなくなったと見るべきであろう。すくなくとも連日私の頭上にまぶしくのどかにかゞやいていた雪国の秋と冬の太陽を見あげて、私はそれを痛感せずにいられなかった。
この天候異変が新潟ばかりでなく雪国全体のものだとすれば、そして新潟ばかりでなく秋田や山形の水田にも二毛作ができるようになれば、日本の食糧事情も一変するようになるだろう。しろうと考えというものかも知れないが、雪国で生れて秋なかばからの一冬にかけて、太陽を見ることのできないせつなさにしょうすいするような思いで育った私が、冬の頭上に連日かがやいているのどかな太陽を見れば、もう雪国は終ったと考え、越後平野を関東平野と同じように考えてしまうのも当然だと思うのである。関東の水田はいま掘りかえされて麦畑に変りつつありこれから麦ふみが始まるのだが、新潟のあの太陽の下で同じことができないというのが私には奇妙に見えて仕方がなかったのだ。
なにぶんにも旅の出発直前に雪国の冬の暗さについて書いたばかりであったから、約束の違う明るさに戸惑うのも当然で、オレの心にしみこんでいた雪国、オレが今まで考えなれていた雪国はもう終った、とそういうことを極度に強く感じさせられたのだ。新たな明るい豊かな雪国の誕生を心から祈りたい気持になったのである。
底本:「坂口安吾全集 14」筑摩書房
1999(平成11)年6月20日初版第1刷発行
底本の親本:「読売新聞 第二七七五五号〜第二八〇二五号」
1954(昭和29)年3月11日〜12月6日
初出:「読売新聞 第二七七五五号〜第二八〇二五号」
1954(昭和29)年3月11日〜12月6日
入力:tatsuki
校正:noriko saito
2009年4月18日作成
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