かろう。一人の名投手というものは結局カネやタイコで探す性質のものらしい。大阪や名古屋はその一人の投手をカネやタイコで探すところのようだ。したがって彼らは常に甲子園でケンランたる活躍をする。桐生は地方予選の花形であるが甲子園では弱小チームだ。高校野球においてそうであるばかりでなく、商魂商策においても似た地位にあるようだ。押しと力が足らないのである。筋金の大事なところが一本だけ不足しているのである。

          ★

 新潟は高校野球もノンプロ野球も全国的に最も弱いので有名であるが、それを雪国のせいにするのは大マチガイで、小学校にお手々つないでワをつくるだけの校庭すらもないせいだ。女の子の遊びや運動がよい子の標準で、男の子の野生遊戯はランボウ者の悪行という気風があの校庭のない小学校をつくらせたのである。高校になってやっと桐生の小学校の中ぐらいの運動場をつくってみても野球のように小さい時からの身体の慣れが必要なスポーツはマにあわないのが当然だ。
 新潟市のように女の子の性行を男の子の標準にした都市も珍しいが、カラッ風と商魂と浮き沈みを生きぬく力が町の魂のような桐生も、実は案外女性的な町だ。織姫の町で、女の方が金銭的に主役であるというばかりでなく、織物業という浮草家業の性格が本質的に女性的なのである。景気不景気の変動が激しく、浮き沈みがはなはだしい。それを生きぬく力が女性的なのだ。男はヤケ酒をのんだり自殺したりするが、女は平然と生きぬく力がある。その女の力が男の力よりも勝っているのが桐生である。その女の力に反逆してメカケをかこったり女をひっぱたいたりして男らしくふるまうけれども、この一番という男の力、最後の筋金が足りない町という感が深い。

     ヘプバーンと自転車

 桐生市には自転車が多い。通りがせまいから、それが一そう目だつ。ある時間には歩行者よりも自転車の通行人が多いような感じである。この市における人口と自転車の比率なぞをふと考えてみる気持になるほど自転車が多いのである。
 パチンコ屋の前にズラリと並んだ自転車。東京では見ることのできない壮観だ。ハイカラなレストランができた。そのとき町の若者の一人が私にこうつぶやいた。
「自転車を横づけにしてはいるのにグアイがわるいから、はやらないだろうな」
 映画館には必ず自転車の駐車場がある。その自転車の数を見ると
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