呆れた。私がプラットホームの反対側へ降りたわけではないので、小林秀雄が私を下ろしたのである。
だから私はもう十六七年前のあのときから、小林秀雄が水道橋から墜落しかねない人物だといふことを信じてもよい根拠が与へられてゐたのであつたが、私は全然あべこべなことを思ひこんでゐたのは、私が甚だ軽率な読書家で、小林の文章にだまされて心眼を狂はせてゐたからに外ならない。
思ふに小林の文章は心眼を狂はせるに妙を得た文章だ。私は小林と碁を打つたことがあるが、彼は五目置いて(ほんとはもつと置く必要があるのだが、五ツ以上は恰好が悪いやと云つて置かないのである)けつして喧嘩といふことをやらぬ。置碁の定石の御手本通りのやりかたで、地どり専門、横槍を通すやうな打方はまつたくやらぬ。こつちの方がムリヤリいぢめに行くのが気の毒なほど公式的そのものの碁を打つ。碁といふものは文章以上に性格をいつはることができないもので、文学の小林は独断先生の如くだけれども、本当は公式的な正統派なんだと私はその時から思つてゐた。然し彼の文章の字面からくる迫真力といふものは、やつぱり私の心眼を狂はせる力があつて、それは要するに、彼の文章
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