等と拗ねて手に負へなくなる。僕も糞便の始末に困つてお世辞を使つたこともあつたが、こんな可愛気のない奴もないので、二度と頼まなかつた。
然し、つく/″\見てゐるうちに、百姓がみんな総理大臣の気焔をあげるわけではない、概して、怠け者の百姓に限つて総理大臣の気焔をあげがちだ、といふことが分つてくると、僕も内心甚だしく穏かでなかつた。僕が取手にゐた時は全く自信を失つて、毎日焦りぬいてゐながら一字も書くことが出来ないといふ時でもあつた。毎日、ねてゐた。夕方になると、もつくり起きて、トンパチ屋へ行く。
総理大臣の気焔をきいてゐるのが、身を切られる思ひで、つらかつたのである。それでも、彼等が各々の職域に属する気焔をあげないので、まだ、きいてゐることが出来た。
彼等が総理大臣の気焔をやめて俺のうちの茄子は日本一だとか、俺の糞便の汲みとり方は天下一品だ、とか、かういふ気焔をあげたなら、居堪《いたたま》れなかつた筈である。僕は酔つ払つて良く気焔をあげる男だけれども、多分、僕の一生のうちに、取手のトンパチ屋で飲んだ時期が最もおとなしい時期となるに相違ない。宿屋のヲバサンは僕のことを聖人だなどゝ言ひ、トンカツ屋のオカミサンは僕が毎晩酒を飲むのだといふことをきいても決して信用しない始末であり、青年団の模範青年は、ある日僕が金に困つてどうしても質屋へ行く必要があり、その案内を頼んだところ、蟇口をもつて追つかけて来て、無理矢理二十円押しつけて行く始末であつた。まつたく不思議な話である。どうしてこんな信頼を博したかといふと、総理大臣の気焔に身を切られる思ひで、くさり果てゝゐたからであつた。
教訓。傍若無人に気焔をあげるべきである。間違つても聖人などゝよばれては金輪際仕事はできぬ。
底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「日本学芸新聞 第一三八号」
1942(昭和17)年9月18日
初出:「日本学芸新聞 第一三八号」
1942(昭和17)年9月18日
入力:tatsuki
校正:noriko saito
2008年9月16日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランテ
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