ハを探してゐるのだ。この辺は昆虫採集家の往来する所で、さういふ一人がこの親爺に向つて、アゲハは三百円もするといふ耳よりな話を吹きこんで行つたのである。その時以来この親爺は野良の仕事をやめてしまつた。尤も、烏アゲハを三百円の金に代へたといふ話もきいたことがない。けれども彼は悠々と毎日昆虫網を担いで森林を散策してゐるのである。
 僕も少し気になつたので、東京の牧野信一へ手紙を出して、烏アゲハが三百円もするかどうか尋ねてみた。牧野信一は二十年も昆虫を採集してゐて、僕もお供を仰せつかつて小田原山中アゲハを追ひ廻したことなどもあつたからである。折返し返事が来て、烏アゲハはたしかに値段のある昆虫だけれども、神田辺で売つてゐる標本は三円ぐらゐだつたと記憶してゐるといふ文面だつた。
 ある晩、奈良原部落の全住民集つて大宴会がひらかれたが、その晩、昆虫親爺の乱酔たるや甚だしく、総理大臣を飛び越して、俺は奈良原の王様だと威張りだした。昆虫親爺には年頃の可愛い娘が二人ゐるが、この二人が左右からなだめすかして、やうやく王様を連れて帰る始末であつた。酔つ払つた王様はひどく機嫌が悪かつた。相対に、酔つ払つた総理大臣といふものは、みんな機嫌が悪いのである。
 取手の町はづれの西と東に各々一人づゝの怠け百姓がゐて、オワイ屋をやつてゐる。この二人で取手の糞尿一切とりあつかつてゐるのだが、性来の怠け者だから糞尿の汲取も怠け放第に怠けて、取手の町は年中糞尿の始末に困つてゐる。ところが、この二人が、揃つてトンパチ屋の常連なのである。一日の仕事を終へると、車に積みこんだ糞尿を横づけにして、二杯目ぐらゐに忽ち総理大臣になつてしまふ。
 この二人はとりわけ仲が悪くもないが、とりわけ仲が良くもない。各々怠け者だから、職業上の競争意識は毛頭なく、あべこべに各々|宿酔《ふつかよい》のふてねをして仕事の押しつけつこをやり、町の人々を困らすのである。丁度僕がゐるときこの二人が総理大臣になつたあげく立廻りに及び各々|肥《こえ》ビシャクをふりまはして町中くさくしてしまつたことがあつた。このとき脂をしぼられて、もう酒を売らないなどゝ威されたので、それ以来相当おとなしくなつたけれども、総理大臣になつて機嫌よく気焔あげてゐるので、この時とばかり俺のうちの糞便を汲んでくれ等と頼もうものなら、忽ちつむじを曲げて、いづれ四五日のうちに、
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