で適当に痩せたかも知れないから、今年こそ八百で念願の二分をきることができるかも知れない。この考えは彼の神殿暮しにいつも希望の光であった。
 この県のNo1は小学校の教員であった。タイムは彼と同じである。彼はきまったように胸の厚さだけ負けるのだ。そして、そこまで迫まりながら、胸の厚さをどうしてもちぢめることができなかった。彼がキチガイじみたラストスパートの練習にうちこんでいるのは、その胸の厚さを抜くためだ。
 彼はこのNo1に単に好敵手というだけではない敵愾心をいだいていた。それはこの男が人にこう語ったことを知ったからだ。
「彼はドスンドスンと地響をたてて追ってくるから、彼の位置が手にとるように分るのだ。また速力もちゃんと分る。だから要心して大きく離す必要はない。胸の厚さだけ前へでて軽くあしらっているのだ」
 誰しも必要以上にホラを吹きたがるものであるから、ホラだけなら光也は腹も立てなかったのである。「ドスンドスンと地響をたてて」という甚だ好ましからぬ表現に彼は立腹したのである。
 それは事実そうであった。それだから光也はやりきれない。自分の耳にもドスンドスンという地響がきこえるのだ。人々が自分を牛とよぶのはモットモだと考える。自分の走る地響が、自分の耳にも牛のようにきこえるのだった。
 No1は跫音《あしおと》もたてないような痩せた優男であった。女学生に人気があった。そのために、女学生は負けた彼をからかった。
「足跡をならしておきなよ」
 そんなひどいことを云う女学生があった。決勝点の附近の柵に腰かけて、足を宙にブラブラふり柿やパンをかじりながらワイワイ云ってる女学生どもであった。
「ズシンズシンと負けちゃッたわね」
 と云って彼の方にわざと拍手を送る奴もあった。
 ズシンズシンという地響はどうにもならないから、どうしても勝ってみせなければならない。しかし、同じ勝つにしても、ギリギリの本音を云えば、人間なみの地響をたてて勝ちたかった。神殿生活のやむをえぬ節食によって、彼は痩せることにも希望をいだいていた。
 彼は家へ帰りつくと、母にきいた。
「すっかり、やせたよ」
「バカ云え。一まわり、ふとったわ」
「ウソだろう」
「何がウソだ」
 母の剣幕が真剣らしいので彼はおどろいたが、その言葉を信用はできなかった。毎日ひもじい思いをして、ふとる筈はない。ところがハカリにかかっ
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