同じ仕事をしています」
「それから?」
「それだけです。そして、社長の命令で、記代子さんの行方を捜しているのです」
放二は思った。こういう女には、洗いざらい言ってしまう方がいいのだ、と。キッピイは何かを打ちあけてもいいらしい気持になっているようだ。彼が隠しだてをしなければ、たぶん、打ちあけてくれるだろう。キッピイの関心は、彼と記代子との恋愛関係にあるようであった。
「あなたは、記代子さんがニンシンしていらッしゃることを御存じでしょうね」
キッピイはうなずいた。
「記代子さんの恋人は、青木さんと仰有る年配の方です。ぼくとあの方とは、お友だち以外の関係はありません。ただ、ぼくが大庭長平先生の掛りですから、仕事の上で、特別密接な関係にあるというだけです」
「あなた方は、以前はフィアンセだったのでしょう」
キッピイの目は険しかった。嘘をとがめているのである。
「ちがいます。ぼくには、女の方を幸福にする資格がないのです」
放二は、ザックバランにうちあけた。
「ぼくは胸が悪いのです。元々悪かったのですが、この夏以来、特別にいけないのです。ぼくの予感が正しければ、記代子さんの行方を突きとめるまで倒れないのが精一ぱいです。人なみの生活を考えないことにしているのです」
キッピイは放二をジロジロ見廻した。放二は疲れきっている。目のまわりに青い隈がしみついている。しかしキッピイは同情した様子もなかった。
「私は、なにも知らないわ」
キッピイはすてるように呟いた。
「ですが、五人目の女の方を御存じではないのですか」
「五人目の女?」
「ええ。先日、そう仰有ったと覚えているのですが」
「五人目か」
キッピイはつまらなそうに呟いて、やがて、早口につけくわえた。
「五人目の人は知っています。だけど、言うわけには、いかないわ。言うことが、できないの。これだけのことを教えてあげるのだって、一分前まで、考えていなかったことなのよ。あとは勝手に捜しなさいよ。どこかに、いるでしょうよ。なくならないものらしいから。もう、会いに来ても、ダメ。さよなら。肺病さん。だけど、五人目は女じゃないかも知れないわ」
キッピイは走り去った。
二
放二が社へでてみると、穂積が汗をふきふき外出から戻ってきた。
「ゆうべ青木さんが新宿で愚連隊にやられたのさ。記代子さんの友だちの喫茶店でインネンをつけられたんだそうだね。欠勤届を持たせてよこしてね。皮肉な先生さ。タキシードにシルクハットの晴れの日にあいにく美貌に傷をつけまして相すみません。アハハ。あの人は、めぐりあわせまで皮肉に回転するらしいや。しかし、ひどいぜ。鬼瓦みたいな顔さ。喋るのも不自由なのさ。見舞いに行って、気の毒したよ」
「どんなことでインネンつけられたのですか」
「わけがわからんそうだがね。とにかく一撃のもとにノビたんで、かえって良かったんだそうだ。悪酒の酔いは、ノビたぐらいじゃ醒めないそうだぜ」
放二の頭には、キッピイの謎の言葉がからみついていた。青木のなぐられたのはキッピイの店らしいが、彼女はそれを言わなかった。言う必要がないことも確かであるが。
しかし、キッピイに会う前に、そのことを知っていたら、と、放二は残念がった。五人目の人物の多少の手掛りにはなったであろう。放二は、ダンスホールでキッピイの居場所をきいたとき、切符売りの女が彼に云った忠告も忘れていなかった。キッピイには悪いヒモがついているらしい。ヒモと五人目の人物は、たぶんツナガリがあるようである。
放二はせつ子に報告した。
「とにかく、生きておられることだけは確実のようです」
たったそれだけであるが、最初で、全部の聞きこみであった。とにかく、はじめて足跡らしいものを突きとめたのだが、そこでとぎれで、あとがない。
しかし、せつ子はよろこんだ。
「きっと突きとめて下さると信じていたわ。私の信じた通りです。こんなうれしいこと、ないわ。あと一歩です」
放二は、こまりきって、
「このさきが雲をつかむようなんです」
「いゝえ。ハッキリしています」
「誰でしょうか。五人目の男は?」
「それは問題ではないのです。キッピイが知っています。男の名ではありませんよ。記代子さんの居場所を。あなたはそれを突きとめればよろしいのです。五人目の男のことは、どうだって、かまいません」
理窟はそうにちがいなかった。たしかにキッピイは知っている。放二にはいろ/\のことが考えられた。記代子には青木のほかにも男の友だちがあったのかも知れない。あるいは青木は社内でだけの恋人で、本当の恋人は五人目の男かも知れなかった。青木がなぐられたのは、そのせいかも知れないし、キッピイが、放二と記代子との関係を気にしていたのも、彼女がヒントを与えたのは二人の関係がなんでもないと分ってからであったのも、それを裏書きしているように思われた。
しかし、キッピイの口からは、もうあれ以上きくことができないだろうと放二は思った。一筋縄ではいかないらしいが、とにかく、やってみるだけだ。
彼は、せつ子が自分に与えた忠告を、そっくり、せつ子に返しておくのが何よりだと思った。せつ子は何も知らない方がいいのだ。記代子の過去も、現在も。青木にも知らせない方がいいのだ。彼ひとり突きとめて、自分の胸に隠しておけばすむことだ。
三
放二は早版の夕刊新聞を買いこんで、電車にのった。一般の退社時刻には早すぎる時間であった。キッピイのところへ立ち寄って、思いきって訊いてみようかと思案したが、新宿の喫茶街の開店時刻には間があるし、キッピイの自宅へ行けば、行き違いになる時刻であった。
キッピイが五人目の名を言うことができないのは、なぜだろう? 人生の裏街では、どんなことでも有りうるのだ。どんな考えられないことでも、それが実在するときには、なんでもない顔をしているのだ。そして、全てが在りうるのである。
青木のほかにも記代子の恋人がいたかも知れぬ、ということも、放二にとっては、なんでもなく実在しうることであった。それは記代子の値打に関することではなかった。人間が元々そういうものなのだ。しかし、同時に、万人がいたましくもあり、高くもあるのだ。
夕刊を読んでいると、映画欄の下段に、キッピイの店の広告がでていた。麗人を求む、とある。記代子が酒場で働く意志があるとすれば、あの店はよろこんで使うだろう。しかし、あの店にいないにしても、他の店にもいない理由にはならない。礼子の観察によれば、記代子は女給の生態が、つまらなくなかった、おもしろかった、というのである。
放二の部屋には、ルミ子や八重子や数人の女たちが、生菓子と果物をたべていた。ほかの女たちはシュミーズひとつであったが、ルミ子は服をつけていた。いつもルミ子はそうであった。
「記代子さんて方の屍体、まだ、あがらないんですか」
八重子が放二にきいた。
「え? 記代子さんが自殺したんですか」
放二はおどろいて訊きかえしたが、彼女らが記代子のことを知るわけがないことに気がついた。今よんできた新聞にも、そんな記事はでていなかったはずである。
「誰かそんなことを言った人があるんですか」
八重子は笑った。
「青木さんがルミちゃんちへ遊びにきて、今しがた帰ったばかしなんです。ゆうべ新宿でブンなぐられたんですッて。三十分ぐらいルミちゃんに泣き言いって、千円くれてッたんですって。そのお金で、目下、宴会中」
ルミ子は何も言わなかった。
放二は穂積の話を思いだして、意外であった。
「青木さんの顔の怪我はひどいようにきいたけど。話もよくできないぐらい」
「ええ。腐爛した水屍体のデスマスクに似ていたわ」
ルミ子は珍らしくもなさそうな顔だった。
「痛さをこらえれば、話すこともできるの。ポロポロ泣きながら。それを見せにきたんです。腐った顔と、泣きながらしぼりだす声とを、ね」
「そのくせ、私には見せないのよ。出て行け、なんて。キザなんだ、あのジジイ」
八重子は吐きすてるように、
「やること、なすこと、ニヤケているのよ。ツバひッかけてやりたいよ。だけど、ルミちゃんには、いいお客さ。腐った顔と泣き声みせて、千円くれて帰るんだもの。キザなジジイに好かれてみたいや」
ルミ子は水蜜の皮をむきながら放二にたずねた。
「大庭先生の姪ですッてね。その方、自殺じゃないんですか」
四
放二は捜査のあらましを女たちに語ってきかせた。
ルミ子はきき終って、
「キッピイさん、もちろん、みんな知ってるのね。そして、何か、深い理由があるんだわ。キッピイさんに、会ってみたいな」
そしてルミ子は夕刊をとりあげて、放二の示したキッピイの店の広告を眺めていたが、
「私、この店の女給になってみましょうか。二三日いるうちに、秘密をききだすことができるでしょう」
とんでもないことを言いだしたのに気がついて、ルミ子は苦笑した。
「ちょッとしたスリルか。なにか、イタズラがしてみたいのさ」
「気どってやがら」
八重子がやりかえした。ルミ子の言葉に意外に反感をいだいた様子である。
ルミ子は苦笑して、
「フン。ヒステリイ」
「チェッ。しょッてやがら、あんたは、美人だよ。麗人でございますよ。美人女給にお似合いですよ。この町内へ二度と戻ってきなさんな」
「どうも相すみません。パンパンアパートの姐御さま」
「よしやがれ。パンパンでわるかったわね」
八重子がなぜ腹をたてたか、ルミ子には一から十まで分っていた。何よりも嫉妬であった。誰が放二を恋しているというわけではないのだ。ゴミ屑のような生活のなかで、美しい恋なんてものは、ありやしない。しかし、又、あるといえば、生活の全部が恋だけなのかも知れなかった。
ルミ子は自分の心を考えてみた。彼女は放二を恋してはいなかったが、世界で一番放二の偉さを知っている者があるとすれば、それは自分だろうと思った。彼女は放二に自分の魂をゆるしていたが、放二も彼女のためにその魂をゆるしていると信じることができるのだ。この上の何物をもとめることもないではないか。放二はそういう人なのだ。己れの魂を彼にゆるす者は、彼の魂を己れにもゆるされていることを見ることができるのである。
キッピイの店へ女給にでて秘密をききだしてあげたいというのは、深い動機からではない。八重子はそれを恋のせいであるかのように腹を立てゝいるけれども、そう思われるものがもしも自分にあるとすれば、それは自分の大きな罪だと言わなければならなかった。
放二を恋するというようなことが、他の人々への義理からではなく、自分の正しい生き方として、許さるべきことではないのだ。放二の偉大な魂を知りつつあることの満足よりも大きなものが有り得べきではないのだから。
彼女は人々に、恋のせいだと見られたことが羞しかったし、放二にはすまないことだと意外に深く気に病んだ。
「なんだか差出がましくッて、私だって、キザッぽくッて気がひけるのよ。あんまり羞しがらせないでね。でも、私が女給にすみこめば、秘密をききだすこともできるし、そうでもしなければ、キッピイさんはタニシみたいに口をつぐんでいるだけだ。兄さんのために何かしてあげたいというんじゃないわ。私には出来ることらしいから、その義務を果すのさ。そして、それが私には面白そうに見えるからのことさ。私が、そうしちゃ、いけないの?」
ルミ子は珍しくムキになっていた。そして、ふいに、涙ぐんだ。
五
その晩から、ルミ子はキッピイの店で働いていた。
この店の主人夫婦は、この商売の主人にしては、ちょッと柄が変っていた。男の方は五十がらみの年配であるが、昔は手堅い会社かなにかに実直な事務をとっていたような、グズで気のきかないノンダクレという感じである。女はわりに若くて三十三四と見うけられるが、いくらかこんな商売をしていたように思われる程度のおとなしそうな女であった。ルミ子を雇い入れるとき、男主人がなんとなく真剣な顔付で、
「このへんの流儀で、ヒッパリをや
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