ょう?」
「八時か、八時半ごろでしょうね。ノクタンビュールは九時か九時半ごろ、一時にドッとはやるのよ。まるでお客さん方が申し合せていらッしゃるように。そうなんです。記代子さんのいらッしゃるのは、その前、いつもお客さんが一組か二組のころでしたわ」
サンマータイムでは、明るい時刻だ。青木とそんなに早い時刻に別れていたのだろうか? すると、礼子が言った。
「ほかの女給さんと一言も話さなかったり、まれに酔っぱらったお客さんが、一しょに飲みましょう、こッちへいらッしゃい、なんて誘っても、見向きもなさらなかったんですけどね。北川さんは、お分りになるかしら? 女ッて、変なものなのよ。ことに、娘さんは、複雑ですよ。ですけどね。女の本性には、規道があるから、男の方には変に見えても、女にはたいがい分るものなのよ。私は思うんです。アベコベじゃないかしら? 誰ともお話しなかったのは、本当は、とてもお話したい気持の逆の表現じゃないかしら。みんな逆だと思うんです。おもしろくないでしょう? つまんないわね、というのは、おもしろいでしょう、おもしろそうね、ということだと思ったわ。昨日今日、そう思いついたんです」
十二
礼子の観察は当っているかも知れない、と放二は思った。自分の経験にてらして、マーケットのカストリ屋で男たちにとりまかれている時の記代子は、酔漢にからかわれるのも愉しそうであったし、酔漢にジロジロ見られても、心ゆたかであったようだ。カストリ屋の主婦や女給と語らうことも、けっしてキライではなかったのである。
しかし、記代子の新たな境遇、ニンシンと孤独、小娘の身にあまる煩悶の日々を思いやると、心境の激変も当然なければならないし、たのしいこと、明るく賑やかなことには、ついて行けなくなっていたかも知れない。虚無にもなろう。軽蔑もしたかろう。
しかし、そのへんのことは、放二にはシカと見当はつけがたかった。
「すると、記代子さんは、皆さんとお友だちになりたくて、遊びに行かれたのでしょうか」
「お友だちになりたいッてわけではないでしょうけど、男のお客さん方のように、バカ騒ぎしたいような気持――女ですから、バカ騒ぎはないでしょうけど、小説などにありますでしょう。気持のふさいだ時や、失恋だの、悩みだのというときに、バーでヤケ酒のむなんてことが。そんなこと、伝説にすぎないようなものですけど、知らない方は、真にうけるかも知れないわ。記代子さんは、まだ子供ですもの、バーッてそんなところかと思ってらッしゃるかも知れなくッてよ。そして、男のお客さん方のように、バーへ行って、気をまぎらしたかったのか知れないわ。バーで、お客さんや私たちのやってることが、つまんないんじゃなくて、同じようなことを、したかったんじゃないかしら。のんで、酔っ払って、お喋りして、乾杯したり、踊ったり……」
放二は、なるほど、と思った。
しかし、それだけの理由だとしてみると、記代子がうわべでは虚勢をはっていても、実は深く悩んでいて、バーで鬱を散じたいような、よるべない気持であったということが分るだけだ。礼子にニンシンをうちあけなかったことも、克子にはそれを打ちあけたことも、そして、二つが同じ頃であることも、特別の意味はなくなってしもう。
「ほかに、お気づきのことはありませんでしたか?」
と、きくと、礼子は放二がミレンを起す余地がないほどハッキリと否定して、
「有れば、私もうれしいわ。私、お力になってあげたくて仕方がないの。御心配でしょうねえ。大庭先生は、どうしてらッしゃるかしら?」
放二がだまっていると、
「私、先生にお目にかかりたいわ。いま、上京してらッしゃるんですッてね。でも記代子さんがこんなで御忙しいでしょうし、遊びにきていただけないでしょうね」
「記代子さんのことでお忙しくはありませんが、お仕事でお忙しいと思います。上京中、外出なさることは殆どありません」
「私がお訪ねしてはいけないの?」
「その御返事は、ぼくにはできませんが、宿を知らされた特定の人が訪ねる以外はお会いにならないのが普通です」
礼子も思いきりよくあきらめて、
「時々、遊びにいらしてよ。遊びにきてらしてたら、記代子さんにも会えたのよ。はやく、行方、見つけてあげてね。そして、記代子さんを幸福にしてあげて」
礼子はそれを心から期待しているようだった。
青木の場合
一
記代子の失踪をきいたとき、青木が直感したのは死であった。
しかし、記代子に、死を選ぶような素振りがあったわけではない。むしろ、怪しい挙動のなさすぎるのがフシギなほどであった。
悲しくて、怪しいのは、青木の方であった。罪悪感にさいなまれ、行末を案じ、一人でいると、絶叫したくなり、胸をかきむしりたくなることがあった。記代子と会うと、逆上的なものはおさまって、平静で柔和になるが、骨がらみの暗さ悲しさはどうにもならない。記代子の気持をひきたて、力をつけてやろうとして、いつとなく悲しい思いに走っているのは彼自身であった。
男の方がそんな風にダラシないから、記代子が逆に、青木の前ではノンビリしていたのかも知れないが、案外シンは頑固で、一人ぎめで、それで楽天的なようにも見えた。
青木は、記代子の将来を考えてダタイをすすめたいのであるが、記代子の反対は強く、青木は再々云いだすことができなかった。
失踪前も、特別な挙動があったとは考えられない。二人の仲はいつもと変りがなく、ちょッとしたイサカイもなかった。いつまでも捨てないでくれ、とか、いつまでも愛してくれ、というようなことを言ったこともない。青木がたよりない思いをさせられるほど、淡々と、ノンビリしていたのである。
しかし、死というものが、どこに宿るかは見当がつかない。ノンビリと、鈍感な田舎者の魂にも、だしぬけの死が宿りやすいことは、チエホフが書いていることだ。これぐらい妙な友だちはない。めったに訪ねてこないけれども、訪ねてきた時は親友で、とびぬけて親友なのかも知れないのである。
日々が平凡で平和な子守女でもふと自殺する理由がありうるのだ。記代子が死にみいられるのはフシギではない。むしろ当然すぎるといえよう。
青木は彼女の失踪をきいて、死のほかに考えることができなかった。彼女に不幸の訪れを怖れていたので、最悪の場合を想定せざるを得なかった。
「まだ、生きていてくれ!」
青木はちょっとした当てをたよりに走りまわった。
「死んでいるなら、死んだ場所へ案内して下さいよ。記代子さん」
誰の目にもふれない先に、記代子の屍体を埋葬して、同じ場所で死のうと思った。
礼子に会って、十日あまり毎日一人でバーへ通った話をきくと、ぶちのめされたように思った。やっぱし! 記代子は彼の前ではノンビリしていたが、内心はやりきれなかったのだ! 切なさは、一人じゃ処置がつかないものだ。親しい人には隠して、行きずりの人の合力にすがるのだ。切なさ、というものは、そんなものだ。
「いよいよ、ダメか!」
青木は落胆して溜息をついた。
「どこで死んでいるのだろう?」
しかし、礼子の意見はちがっていた。
「生きていますよ。私たちのように平凡な女は、生きることを考えて、悩むものです。あなたのように、力みすぎたり、諦めすぎたりしないのよ。案外ノンビリと、お友だちと水泳にでもいっているのかも知れません」
青木は、とてもそんな風に思うことができなかった。
二
青木は玉川上水に沿うて、さまよった。記代子の宿から、歩いて四十五分ぐらい。死ぬとすれば、まずここを考えるのが自然であった。濁った早い流れを見つめて歩いていると、その下に記代子がいるように思われて仕方がなかった。
「よびかけてくれないかな」
と、青木は思った。自然林に、おびただしい小鳥が啼いていた。
「あんな風に、よびかけてくれないかな」
青木は、しかし、自分がどうかしている、と考えた。どうして、玉川上水なんかへ、来たのだろう? 五十の男が人の行方を探すにしては、論理的なところがなさすぎる。まるで女学生のように直感的でセンチである。
「だらしがない!」
まったくだ。泣きべそかいているじゃないか。ともかく学問を身につけた人間が、論理的なところを皆目失って行動しているようでは、身の終りというものだ。
「死にたいのはオレ自身じゃないのか」
もしそうだとすると、いよいよセンチで、助からない。彼は苦笑して、歩きだした。
記代子は、どこにいるか? それを解く鍵が一つある。金曜日に、記代子の姿を見た人を探すことだ。宿をでて電車にのったか、玉川上水の方へ歩いて行ったか、誰かが見ている筈である。しかし、その誰かを探す手段がわからない。
彼は記代子の宿を訪ねた。はじめての訪問だった。彼の名をきくと、主婦は身をかたくひきしめて、警戒の色をみせた。青木の癇にグッときたので、彼は苦笑して、
「わかっています。歓迎されないお客さんだということは、どこへ行っても、こうなんですよ。で、皆さんのお気持を尊重していたぶんには、出家遁世あるのみですから、時々こうして、歓迎せられざる訪問もしなければならないのですよ。まゝ外交員なみに、ちょッとの辛抱、おねがいしますよ」
青木はドッコイショとカマチに腰を下して、
「失礼します。これが外交員、イヤ、一般に歓迎せられざる客人の礼義でして、つまり、ここから上へはあがらない、即ち、歓迎せられざる身の程をわきまえています、という自粛自虚の表現なんですな」
青木は、もっと、ふざけたくなった。
「カバンの中から鉛筆かなんかとりだして、並べたくなるもんですなア。こうして、入り口へ腰かけますとね。昔、やったことがあるような気持になるから、妙なものですよ」
先方がタニシのように口をあける見込みがないのを見てとって、青木は益々、ふざけた気持になった。
「さて、鉛筆の代りに、とりいだします品物は、ハッハ」
青木は主婦を見つめた。
「記代子さんは、金曜日に、どんな服装で、でましたか?」
主婦は意表をつかれた。青木にしてみれば当然な質問だったが、主婦はこれまでに放二から様々の質問をうけて、しかし、この質問はうけなかったからである。
「それを、きいて、どうなさるのです」
敵意がこもったので、青木は嘲笑で応じた。
「人相書をまわすんですよ。探ね人。家出娘。二十歳」
「大庭さんのお指図で、北川さんが捜査に当っておられます。あなたのことは、なんのお指図もありませんから、お帰り下さい」
ピシャリと障子をしめてしまった。
三
青木は熱海をぶらぶらした。
記代子は熱海に通じていた。長平が上京のたび熱海に立ち寄る習慣で、迎える記代子や放二らと数日すごしたからである。
青木は記代子の案内で、いくらか熱海に通じた。観音教の本殿や、来宮神社の大楠や、重箱という鰻屋なども教えてもらった。
錦ヶ浦へ案内したのも記代子であった。トンネルをでた崖のコンクリートに、ちょッと待て、と書いてあるのも指し示した。
「投身自殺ッて、とてもスポーツの要領でやるもんですッて。ナムアミダブツ、なんてんじゃないそうだわ」
「どんなふうにやるの?」
「たいがい、助走してくるのよ。エイ、エイ、エイッて、掛け声をかけて助走する人も、あるんですッて。茶店で休んでいた人が、とつぜん駈けだして飛びこむこともあるそうよ。走り幅飛の助走路よりも長そうだわ」
「なるほど。岩にぶつかるのがイヤなんだな。ぼくも、ここで死ぬんなら、助走するな。痛い目を見たくないからね」
「痛い目?」
記代子は不審そうに、
「足が折れたり、顔がつぶれたり、醜い姿になるのがイヤなのよ。助走しない人だって、いるのよ。その人はダイヴィングの要領ですって。こう手をあげて、後にそって、かゞんで、ハズミをつけてダイヴするんですって。私だったら、ダイヴィングでやるなア」
二人はそんな話をしたことがあった。
又、記代子がニンシンをうちあけたのも、熱海の宿であった。
青木
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