ぼくの名も、拾って育ててくれた人がつけてくれたのです。養父母は三月十日の空襲で死にました」
 その来歴はかねて長平もきき知っていた。しかし、何度きいても、解せないのだ。放二は心も情操も正しいように、容貌風姿も貴公子であった。拾われて育てられた棄て子が、そして、終戦後は孤児となり苦学して私大の文科をでたという荒波にもまれ通した子供が、なんのヒネクレた翳もなく、若年にして長者の温容を宿しているというのがわからない。
 記代子も戦災で父母を失っていた。それ以後は叔父の長平がひきとって、親代りに育てたのである。
 記代子を勤めにだしたとき、放二と愛し合うようになっても悪くはない、むしろ期待するような気持があった。それぐらい放二の人柄を愛していた。
 しかし記代子の観察も、女らしくて面白い。放二は人の着古したものを貰いうけて身につけていたが、それを整然と着こなして、人に不快を与えない。天性の礼節が一挙一動に行きとどいているせいでもある。けれどもシサイに見ると、いかがわしいところがあった。
 今もって、すりへってイビツな軍靴をはいている。何十ぺんツギをあてたか分らぬような、雑巾のような靴下をはいて
前へ 次へ
全397ページ中6ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング