。ぼんやり考えごとをするとき、タバコふかすのよ」
「一本おくれ」
「あんた、立派なミナリしてるけど、お金ないのね。さっきの二千円も、あんたのお金じゃないでしょう」
「御説の通りさ。礼装乞食というんだな。電車賃まで北川君にオンブしているのさ」
「酔ッ払い!」
ルミ子は小さく吐きすてるように叫んだが、顔にはなんの表情もなく、悠々とタバコをふかしていたが、
「梶せつ子って、兄さんの世界中でたッた一人の女なのよ。十年昔から、思いつめて成人したのよ。凄腕の大姐御らしいけどね。兄さんには、小鳩か天使のようにしか見えないらしいわね」
しばらく無心に煙の行方を見つめてから、
「毛皮やウールの最高級の流行服を身につけてね。首輪、耳輪、腕輪もつけてるのよ。四、五十万のものを身につけてるらしいわね。それでいて兄さんの乏しいサラリーからお小遣いたかるのよ。兄さんのドタ靴とボロボロの靴下見たでしょう。姐御にたかられてしまうから、靴下一足買うことができないのよ。あんたも、似てるわよ。どうも、ミナリのパリッとしたのは、変な世渡りしてるらしいわね」
こう言ったが、咎める表情が浮かんだ様子も見えない。のんびり、チビチビとタバコをふかしている。
「君たちにとって、兄さんはなんに当る人なんだい」
「私たちは人間の屑というのかも知れないな。でも、あんたたちほど変な世渡りしていないよ。兄さんにタカルような根性だけはないわね。すがっているのよ。屑だもの。すがらずに生きられないわ。兄さんは私たちの大きな大きなママ。心のふるさとよ」
なんの変った様子もなく、静かに立ち上って、二千円をぶら下げて、
「ひとりで、おやすみ。泊めてあげるから。兄さんのお金じゃ、私たちのからだは買えなくッてよ」
立ち去ろうとするのを、青木はよびかけて、
「許してくれ。兄さんにも、あやまってくれよ。一晩ほッといてもらうと、ぼくも助かるよ。泣いて、泣きあかしたいのだ」
「例外中の例外」
ルミ子は軽くギョという顔をして、扉の外へ消えた。
記念日
一
午後二時半。小田原から、東京行急行にのりこむ。
熱海、湯河原、小田原のあたりは、温泉へ執筆旅行の文士と、それを追っかける編集者がきりもなく往復しているところで、危険地帯であった。
文士も編集者もたいがい秘密のアイビキぐらいやってる人種であるから、平気のようなものであるが、見られた者だけが噂にのぼるから、見られるとバカをみる。だからアベックで出かけるようなことはなく、別の汽車で出て、別々に帰るというやり方である。
せつ子もその手を用いて大過なくやってきたが、今度だけは勝手がちがう。
宇賀神《うがじん》芳則は右翼団体の顧問格の策士で、陰謀にかけては天才的な男であるが、一面、大変な露出狂で、どんな秘密も洗いざらいペラペラ喋りまくっているように見える。
実際は、喋りまくっているのは、どうでもいいようなことで、大事の陰謀は決して喋っていないのである。小事について露出狂的であるところが、大事な秘密をさとられない秘訣であるのかも知れない。
宇賀神のところへは各党の政治家が出入りしてゴキゲンをとりむすび、金をもらっている。彼の手からバラまかれる金は、門外漢には想像もつかないほどの巨額であるが、どんな方法で、どれくらいの収入があるのだか、誰も見当がつかないのである。いろんな臆測はとんでいるが、正体をつかんだものはいない。
せつ子は宇賀神の寵を得て、これが二度目のアイビキだから、時日も浅いが、その収入の内幕については、てんで見当がつかなかった。しかし変に気を回すと、彼の鋭い直感にふれて、せっかくの寵を失うから、その方面には風馬牛にもしているのである。
ところが、情事のこととなると、全然露出狂である。人前でも戯れかねない有様であるから、別々にアイビキの地へ赴くような配慮などは念頭においたこともない。
せつ子もこれには困ったが、この金の蔓は放せない。是が非でもと今生の決意をかためて乗りだした仕事だから、今までの名が醜聞によって汚されるのを怖れてはいられなかった。
それでも一応の配慮はこらして、長崎始発の東京行急行を選んだ。
湘南電車というのができて、新装置の二等車がつき、同時に二等運賃も安くなったから、文士はみんなこれにのる。編集者も過労を怖れてこの二等を利用するものが少くないから、二等車も安心はできない。
しかし長崎始発の急行といえば、東海道の急行の中ではローカルに属するもので、温泉帰りの利用すべき性質のものではなかろう。こう考えて選んだのである。
せっかくの胸算用は大当外れ、大失敗に終ってしまった。
小田原で二等車にのりこむ。ヨウ、と立ち上った男が酔顔を真ッ赤にそめて近づいて、
「おせッちゃん。箱根に雲隠
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