ッサリ辞退した。
放二が二千円さしだすと、ルミ子はためらって、
「あら。兄さんからなの」
「この方のお金、お預りしてるんです」
「そう」
「君の奥さんじゃないんだね」
と、青木は念を押して、
「不倫も怖るるところにあらずだがね。ルミちゃんか。よろしく、たのむ。可愛がっておくれ。オレにも死神がついてるのかも知れねえや。しかし、君は美人だなア、ほんとに、奥さんじゃないんだね」
「アイ・アム・パンパン」
「メルベエイヤン!」
青木はフラフラ立上って、オイデ、オイデをしているルミ子を追いながら、
「北川さんや。梶せつ子女史にナイショ、ナイショだよ。そうでもないか。地獄の門は、とッくに通りこしていたんだっけな。こんどくぐる門、どこの門」
ルミ子の目が光った。
七
「あんた、梶せつ子さんの旦那さんなの」
まずルミ子は問いただした。
男を送りだしたままのフトンが敷きっ放してある。青木は服のままその上へひッくりかえって、頭をかかえて、
「え? なに? 君、異様な質問を発したようだね。なんだって?」
「アンタノオクサン、カジ・セツコ!」
ルミ子は節をつけた。
「君よ知るや梶せつ子」
青木も唄の文句で起き上って、
「え? なぜ知ってるの。梶せつ子を」
「あんたの方が変だわね。梶せつ子にナイショ、ナイショって、なんのことなの。それがハッキリしなければ、この門は通行止め」
「ハッハ。はからざりけり。とんだシャレだったね。しかし、ぼくはシャレたわけじゃなかったのさ。ぼくのくぐったのは、地獄の門。こんどくぐる門、どこの門。地獄の次の門てのがあるのだろうかと悲しくって呟いたんだが、地獄の次の門てのは、ここのうちに在ったのかね」
「ここすぎて悲しみの門か」
「え? 君はダンテを読んだの」
「喫茶店の広告文さ。門という店のね」
「なるほど。君には人のイノチをとるものが、そなわっているのかも知れないな」
青木はしみじみ呟いた。
「仲よくしようよ。オレもイノチをすてる時は、ここへくるかも知れないぜ。そのときは、どこの門もふさがってるんだ。ここの門だけ開いてるような気がするな」
礼子の門も、梶せつ子の門も、みんな閉じているだろう。地獄の門も、悲しみの門も、とじている。ここは何で門だろう?
死の門? イノチの門? イヤ、もっと茫漠としたものだ。雑沓の跫音《あしおと》だけのような、いつもザワザワと跫音だけがくぐる門。無関心、無の門。
せつない思いがこみあげた。
「オレが何者かッてことを、君がきくことはないだろうがね。君だけが、誰より知ってるはずじゃないか、オレが誰かということをさ。跫音にすぎないですよ。ザワザワと群れて通りすぎて行くその一つの跫音にすぎんじゃないですか」
ルミ子は青木のニヒリズムの相手にはならず、ネマキに着代えながら、詩集を朗読するように、
「跫音に戸籍を問えば、跫音の答えて曰く……それから?」
「ここだけは戸籍のいらないところだろう」
「ここで死んでごらん。警察が私にきくのは、跫音の戸籍だけ。ほかのことは何もきかない」
「なるほどね。わかった。君こそは、全世界の、全人類の、検視人かね。戸籍の総元締めというわけかい」
「エンマ様の出店らしいわね」
「跫音の答えて曰く、か」
青木は、また、ねころんで頭をかかえた。
「梶せつ子女史は、ぼくと共同事業の相棒さ。ぼくと共に出資者の一人でもあり、事業経営の最高首脳者でもあるわけさ。ところがね。ぼくの集金がうまくいかないのでね、ぼくはクビになりそうなんだ。すッぽかして行方をくらまし、ぼくに会ってくれなかったり」
青木は切なくなって言葉をきったが、気持をとりなおして、
「さ。跫音の戸籍はすんだよ。なぜ君が梶せつ子を知ってるのか、それを答えてくれる番だぜ」
八
「あんた、兄さんのお友だち? でも、なさそうね。会社の人? 社長さん? 文士? 画家? お医者さん? 悲劇俳優?」
矢つぎばやに列挙して、ルミ子は苦笑をもらした。
「みんな当らなかったようだわね。あんた、なんなのよ」
「さッき申上げた通りの者さ」
「兄さんの、なんなのよ」
「今日はじめて会った親友さ。梶せつ子に会えるように手引きをたのんだ次第でね」
「どこで会ったの? 飲み屋?」
「街頭でタバコの火をかりて、モシモシあなた梶せつ子さん知ってますか、なんてことはないでしょう」
「じゃア、飲み屋で、酔っ払って、泣いてたのね。あんたぐらいの年配の人、酔っ払うと、ムヤミに大きなことを言ってバカ笑いするもんね。あんたみたいに、メソメソするのは例外よ」
「葬式の跫音なんだな」
ルミ子はタバコを一本ぬいて火をつけた。
「なんだい。煙を吹いてるんじゃないか。すうもんだぜ、タバコは」
「すうのはキライ。むせるから
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