で女にもてるんだから。アッハッハッ」
 ひとしきり笑いたてて、真顔にかえった。
「だからさ。礼子に会ってやってくれよ」
「なぜ」
「礼子がそれを語る適任者だからさ。ぼくなどの出る幕じゃないよ。礼子が君に語るであろう切々たる胸のうちが、全てを語って余すところなしさ」
 思いがけない言葉だから、まさか本心ではなかろうと疑った。
 しかし苦笑のひいた青木の顔は、打ちひしがれたように蒼ざめている。いったい本気なのか、と長平は呆れた。
「実は、礼子がくることになってるのだがね」
「ここへかい」
「いや、喫茶店で待ってる。もう来てるだろうよ。会ってやってくれよ」
「どうして君は会わせたがるんだい」
「ジャケンなことを言う人だねえ。会ってやったって、いゝじゃないか」
 カンジンなところへくると、青木は返答の急所をはずす。彼の気の弱さだと長平は考えるが、策謀と受けとれぬこともない。
 嫌いでもない女房に逃げられたという。逃げた原因はほかの男に気が移ったせいだと女房自身言明している。
 当の男が、逃げられた亭主の前に現にいるのだ。そして、一方的に気が移ったからと云って、離婚の責任を男に押しつけられては困るし、それぐらいの常識は誰しも持つのが当然だが、この御夫婦に限って妙に押しつけがましいのが腑に落ちない、と男が亭主にきいているのだ。
 ところが亭主はまるで謎々をたのしむように、わざと正体をぼかして、じらしているのである。
 長平は不愉快だったが、しかし自分のことが原因で夫婦別れをしたと云う以上は、一方的に押しつけられたものでも、オレの知ったことかと突き放すこともできない。
「君。もっと素直に話せないのか」
 と、長平が態度に窮して、つい懇願的になると、青木もこたえたらしく、
「すまん。実に、バカなんだ。ぼくは、ね。女房のことでも悩んだが、しかし、金の悩みにくらべれば、微々たるものさ。女のことで死ぬなんて、まだ花ある人生ですよ。ぼくみたいに、金々々、金ゆえに首くくりを何年何ヶ月思いつめた人間というものは、これはもう首をくくる先に骨の皮の餓鬼なんだ。逆さにふっても鼻血もでないなんて、昔の奴は、無慙なことを、いとカンタンに云いやがるよ」
「書斎へ戻るのが賢明だと思うがな。昔のようにさ。たった五年前の昔だ。礼子さんも事業家からは逃げだしたが、書斎の君のところへは戻るだろうと、ぼくは思うよ」
「まアさ。小人には君子の道を説いても、ムダなものだよ」
 青木はわざとらしく爽やかに高笑いして、
「ぼくじゃなくて、女の小人に道を説いてやってくれ。彼女は救われるかも知れないからさ。なぜなら、汚れが少いから。ぼくは今もなお最も多く彼女を尊敬しているよ」

       六

 青木に別れて、二人は銀座裏のバーへ行った。長平の二十年来の行きつけの店だ。二階になじみのバーテンが寝泊りしていて二人を迎えてくれたが、営業は夜だけだから、昼は人のくる気づかいがない。
 薄暗いなかでジンヒーズをつくってもらって飲んでいると、ノックの音がした。
 放二が錠を外して扉をあけると、青木が礼子を案内してきて、じゃア、また六時に、と、自分はそそくさ姿を消した。
 この会見のあとで、長平はもう一度青木に会わなければならないのである。宵の六時にもう一度と青木はきかないのである。
「ここで、みんな話をすますわけにはいかないのかい」
 長平は面倒がってたのんだのだが、
「いちど、その前に、礼子に会ってやってくれよ。それからぼくは君に会って、胸の中をきいてもらいたいのだ」
 青木はそう頼んで、きかなかった。そして六時の会見は、長平のきゝなれない、豪勢らしい料亭が指定されていた。
 礼子は一別以来の尋常な挨拶を終ると、放二の方にチラと目をやって、
「こちら、北川さん?」
「そうです。在京中は形影相伴う血族ですから、お心置きなく」
 青木が放二のことを説明しておいたのだろうと思うから、長平は気にとめず、答えたが、実際は、意外千万な意味があった。しかし、そのときは、わからなかった。
 営業前の薄暗い酒場というものは、坐り場所に窮するような落付かないものだが、礼子はむしろそうでもなく悠々と見まわして、
「ここ、カフェーというんでしょうか? バーですか。キャバレーですか」
「バーというんでしょうね。定義は知りませんが、洋酒を最も安直にのませるところです」
「女給さんは?」
「おります」
 一方的に思いつめて、そのために離婚までして、手紙では事足らず、遠く京都まで三度もムダ足を運んでひるまない礼子。ひたむきに思いまどって何の余裕もないかと思えば、長平よりも落ちつきはらって、静かに四囲を見まわしている。そして、究理の学徒がするような冷静な態度でくだらぬ質問をしている。礼義とか外交手腕じゃないようだ。余裕がありす
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