だが、うけつけようともしないのだから」
「それで、君から、百万ぐらい都合してやれないかね」
 長平は呆れて旧友をうちながめた。海野に悪意はないのである。彼は書斎人の一徹で、何か一方的に思いこんでいるのである。
 一日か二日がかりで言葉をつくして説明すれば、半分ぐらい説得できるかも知れないが、そうまでして、この単純に思いこんだ書斎人を説得する根気もなかった。
「その話なら、うちきりにしよう。君は事情を知らないのだし、ぼくも君のために事情を説明したいとは思わない。第三者が介入すべきことではないよ。話があれば、青木とぼくが直接するにかぎるのだから」
 と、それ以上、ふれさせなかった。
 しかし、それがキッカケとなって、この上京中に、青木と会うことになったのである。
 長平の気持は複雑であった。しかし、青木はそれ以上にも複雑で、悲しさに打ちひしがれているのかも知れない。ただ虚勢だけで持ちこたえているのかも知れなかった。
 長平はその青木をいたわるべきだと思いながら、なんとなく不快であり、万事につけて腑に落ちなかった。

       四

 青木と礼子の別居が、どの程度のものだか、それすらも見当がつかなかった。現に二人はその後も会っているに相違ない。なぜなら、礼子は長平を訪ねたが会えなくて残念がっていた、と青木が云っているのだから。
「そう。そんなことがあったね。せっかく京都まで訪ねて来られたそうだが、あいにく上京中で会えなかったよ」
 長平は、こう答えるまでに甚しく迷ったのである。礼子が三度訪れたこと、居留守をつかって会わなかったこと、それをハッキリ云うべきではないかと迷った。自分の態度をハッキリ示すことは、相手のハッキリした態度を要求することでもあるからだ。
 しかし、青木夫妻の別居が決定的なものだとすると、いかにも礼子が哀れであるし、二人を突き放している自分が、思いあがったようで、イヤでもあった。
「一度、礼子に会ってやってくれないか」
 青木の言葉は静かであった。それを受けとる長平の気持は複雑だ。
「君からそんなことを頼まれると、ぼくは、迷いもするし、ヒガミもする。また、疑いもするし、怒りたくもなるよ。そう思わないかい? 君は?」
 長平は返答を待ったが、答えがなかった。そこで、言葉をつづけて、
「ぼくは礼子さんに一度だけ返事を書いたことがあったよ。別居したという手紙をもらった時だね。こんな返事だ。夫婦喧嘩だけでは足らないのですか。ぼくはあなた方二人が誰よりも愛し合った夫婦だったことを知っています。一度そうであった者は、それ以上のものを探す必要はありません。どこにもそれ以上のものはないから。あなた方お二方の生活がつまらなければ、そのほかの誰の生活もつまらないのです。みんな諦めているだけです。元の枝へ急がれんことを。ザッとこんな手紙だったね。しかし、この手紙は出さなかったよ。なぜなら、まだ出さないうちに、君からの借金の手紙が来たからだ。ぼくはインネンをつけられているような気がした。そして君たちのことは二度と考えてみるのもイヤになったのさ」
 ツツモタセのインネンを、と云わんばかりであったが、青木はそれが気にならないのか、まるで念頭にかからぬ様子で、
「あのときは取り乱して、失礼したね。金詰りで、四苦八苦の時だから。みすみすモウケが分っているのに、それが出来ないのさ。鉱石を駅まで十里の山径《やまみち》を運びださなきゃならないのさ。その運賃で赤字なのだ。鉱石をきりだしてるのは海岸なんだぜ。港をつくりゃ、もうかるのさ。大きな港じゃないんだ。百トン積みの小船を横づけにするだけでタクサンなんだからね。いくらでもない工費なんだが、その工面がつかないのさ。ぼくの数年はその苦闘史さ。こんど立候補するのも、そうする以外に築港を完成する手がないからだよ」
 青木は再びカラカラと高笑いした。まるで立候補の抱負と高笑いをきかせるために会見しているかのように、その時だけは生き生きと見えるのだった。
 また長平はちょッとむかついて、
「話の本筋にふれないかね」
「まアさ。ぼくの夢だって、きいてくれよ。数年の苦闘史をね。受難史だよ。仕事は外れる。女房は逃げる。来る時には一とまとめに来やがるからなア。なんど首をくくりたくなったか知れないよ」
 青木はまたカラカラと笑った。そして、
「ナア。長平さん。ビールをのもうよ」
 にわかにグニャ/\と構えをくずして、なれなれしくビールをさした。

       五

 長平はなるべく腹を立てないようにと、自制するのに努力した。
「受難史はいずれ承ることにして、別居のテンマツをきかせたまえ。もっとも、君が語りたくなければ、ぼくの方はこれ幸いで、ききたいと思ってるわけではないがね」
「まアさ。長さんは相変らず堅苦しいね。それ
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